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静岡県熱海市春日町にある軍事遺跡、臨時東京第一陸軍病院熱海分院跡を歩いてきました。
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東京駅から新幹線で一時間とかからない位置にある温泉地、熱海にやってきました。
熱海駅には2016年11月に建造された大型ショッピングモール「ラスカ熱海」があり、駅前は観光客で賑わっています。
バブル崩壊後、観光客が大幅に減少し衰退した熱海ですが、近年は再び人気の観光地となっているそうです。
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熱海駅ロータリーには熱海鉄道7号蒸気機関車が保存展示されています。
熱海鉄道は、東海道本線が開業する以前に小田原と熱海の間を結んでいた軽便鉄道線です。
明治40(1907)年から大正12(1923)年までの間運用された熱海鉄道は、熱海~小田原間25kmを2時間20~40分かかって移動していたという。
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熱海駅ロータリーから熱海仲店通り商店街に入ります。
熱海仲店通り商店街は思いのほか混雑していて、幼児連れで歩くのは骨が折れました。
数年前に来たときは寂れた昭和の商店街という印象でしたが、海水浴シーズンということもあり活気に溢れた商店街に変わっていました。
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熱海仲店通り商店街を抜けると静岡県道103号線があり、その南側は高台になっています。
駅前の喧騒はどこへやら、このあたりは駅からまだたいして離れていないのに静かで落ち着いたところです。
坂を登らなければなりませんが、高台の上は駅に近く眺めもいいため集合住宅や保養所、別荘などがたくさん建つ地区になっています。
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坂道を登っていくと、唐突に熱海簡易裁判所・静岡家庭裁判所熱海出張所が見えてきます。
駅前とはいえ、なぜこんな高台の上に裁判所を建てたんでしょうか。
やっかいごとをあまり持ってこないようにという無言のアピールですかね。
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熱海簡易裁判所の裏側は、レーベン熱海春日町という共同住宅の建設予定地となっていて、訪問時はフェンスで覆われていました。
フェンスの先に今も残存している白い和風の塀から、おそらくこのあたりには少し前まで大きな屋敷があったと思われますが、それを取り壊して集合住宅を建設しようとしているようです。
左に残っている立派な和風の塀も、やがては取り壊されてしまうのでしょうか。
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和風の塀の足下には、雑草に隠れるようにして境界標石が埋まっていました。
花崗岩の境界標石で、風化していて記載文字が判然としません。
はて、これはなんの境界標石でしょうか。
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境界標石の並びには駐車場と、静岡地方検察庁熱海区検察庁が建っています。
熱海区検察庁とかかれたこの建物は、正確には「熱海区検察庁跡」のようで、今は使われていない廃墟みたいです。
その熱海区検察庁跡の目の前に、大きな境界標石がにょっきりと立っています。
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こちらは斜めになっているものの、「陸軍用地」とはっきり読める花崗岩製の軍用地境界標石です。
かつて、この辺りから国道135号線に面する「KKRホテル熱海」のある場所にかけて、熱海陸軍病院があったという。
明治44(1911)年5月に「東京第一衛戍病院熱海分院」として創立されたこの病院は、昭和13(1938)年2月に「臨時東京第一陸軍病院熱海分院」となり、終戦まで増加する負傷兵の治療に当たっていたそうです。
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熱海区検察庁跡前から警察共済組合宿泊保養施設の前を通って、さらに坂を登っていきます。
警察施設もけっこう旧軍用地に作られていることが多いですが、右手の保養施設「ホテル弥生」も陸軍病院跡地に作られたんでしょうか。
共済組合の宿泊施設らしく、古そうな建物ですが。
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ホテル弥生からさらに進んでいくと、先に熱海の重要文化財「旧日向別邸」があります。
旧日向別邸はドイツ人建築家ブルーノ・タウトの手によって昭和11(1936)年に建てられた近代建築です。
この辺りは熱海陸軍病院の軍用地ではないようですね。
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旧日向別邸前からさらに進んでいくと、今度は道が高台を降りていく形になり、再び静岡県道103号線にでます。
そこから103号線の終点である足川交差点まで来ると、国道135号線にぶつかります。
この足川交差点を右に曲がり、海沿いを通る国道135号線に入ります。
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国道135号線を少し進むと、途中の山側に側道があって、その近くに標柱が立っています。
その標柱には「ニ・ニ六事件河野寿大尉自決の地」「熱海陸軍病院裏門跡」と記載されています。
標柱には赤い矢印がついていて、側道の方を指しています。
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矢印に従って側道を進んでいくと、やがて雑木林に阻まれて行き止まりになっているところに着きました。
行き止まりの横手に、ニ・ニ六事件の際湯河原の光風荘にいた牧野伸顕前内大臣を襲撃し、負傷して熱海陸軍病院に入院した河野寿大尉の、自決の地の標柱が立っています。
負傷して熱海陸軍病院に入院した河野寿大尉は、失敗に終わった二・二六事件発生から数日経った3月5日午後3時半ころ、病院の裏山において果物ナイフで割腹したのち首を六ヶ所も切りつけ、翌朝の6時半ころに絶命したという。
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ここにその自決の地の標柱が立てられていますが、実際の自決の位置はここではないようです。
熱海陸軍病院は戦後、軍の解体に伴い国立熱海病院となりましたが、昭和39(1964)年の熱海バイパス開通で病院の敷地は二つに分断され、山側の敷地は国家公務員共済組合連合会(KKR)に売却されました。
KKRホテルの建設に伴い、もともと自決の地に建てられていたこの標柱は一旦撤去させられ、平成15(2003)年になって現在地に建立されたという。
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また別の話になりますが、熱海陸軍病院跡に近い、国道135号線沿いにある海光町には、海光町石畳浪漫坂という熱海の観光名所があります。
ここには近年まで昭和初期に建てられた水光荘という海軍高等官保養所が残されていたようですが、最近取り壊されたらしく行ってみたら更地になっていました。
浪漫もへったくれもありませんな。
熱海陸軍病院の境界標石があるところも大規模な工事が行われそうな感じですし、熱海の観光地化の波によって、熱海の軍事遺跡は消滅の危機に瀕しているのかもしれません。
(訪問月2018年8月)