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今回は第二次世界大戦最後の空襲を受けた、神奈川県小田原市本町を歩いてきました。
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現在地は小田原城址公園に近い、国道一号線、東海道上に位置する本町交差点です。
東海道はこの交差点を経て、北から西へと曲がって箱根方面へと延びていきます。
この本町交差点には小田原市の観光案内所、小田原宿なりわい交流館が交差点角に建っています。
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小田原宿なりわい交流館は昭和7(1932)年に建造された旧網問屋を再整備した地域交流館兼観光案内所です。
建物は小田原の伝統的な商家の造り「出桁造り」という建築方法で建てられています。
かつての小田原の街道には、このような商家が軒を連ねていたそうです。
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小田原宿なりわい交流館の一階は観光案内とお休み処となっていて、夏の猛暑の中、休憩させてもらいつつ無料で冷えた麦茶がいただけました。
一階交流館の壁には、かつての宿場町「小田原宿」の地図などが貼られています。
二階は27畳の板の間となっており、イベント会場などとして使われているそうです。
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小田原宿なりわい交流館から西側の通りは、小田原かまぼこ通りというかまぼこ屋が軒をかまえるストリートになっています。
小田原かまぼこ通りはかまぼこ屋の他にも干物屋、鰹節屋、料亭、飲食店、和菓子屋など食べ処が多く、漁師町の風情が残っています。
しかし時代の流れというべきか、昼食時にもかかわらず通りに人は少なく、シャッターが下りている店舗が多かったです。
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小田原かまぼこ通りの割烹「幸繁」で昼食を摂りました。
上が海鮮丼定食、下が天ぷら定食でいずれも1000円。
さすが漁師町、海鮮系のコストパフォーマンスは良好のようです。
またお店の人に、同席した子供たちに気を使っていただいたのが嬉しかったです。
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「幸繁」で食事をすませた後、小田原かまぼこ通りを西の方へと足を進めます。
この小田原市本町二丁目、三丁目のあたりは、太平洋戦争の終戦日である昭和20(1945)年8月15日未明、アメリカ陸軍戦略爆撃機B-29スーパーフォートレスから焼夷弾の投下爆撃を受けました。
この「小田原空襲」はもともとアメリカ軍の当初の予定になく、8月14日深夜~15日未明にかけて熊谷や伊勢崎への空襲を行ったB-29が帰路に攻撃したもので、第二次世界大戦最後の空襲とされています。
その小田原空襲を今に伝える「小田原空襲の碑」がこの小田原かまぼこ通りの先にあるというので、見学に行きたいと思います。
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小田原かまぼこ通りの東端にあたる青物町交差点までやってきました。
事前にチェックしていた総務省のホームページによると、「小田原空襲の碑」は青物町交差点に面するレストランの壁面にあるらしいです。
交差点の対角線上に見える白と茶の建物がそれでしょうか。
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ちなみに上の写真は総務省のホームページより抜粋した、小田原空襲の碑の写真です。
「碑」というとついつい石碑を想像してしまいがちですが、小田原空襲の碑は金属製のちょっと立派な解説板のようです。
設置場所はこの写真を見るに、あの建物で間違いなさそうです。
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青物町交差点を横断し、レストランに接近します。
お店はシャッターが下りており、すでに営業はしていないようです。
…ん? あれ? なんかおかしくない?
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あれ!?
あるべきはずのところに、「小田原空襲の碑」がない!?
外壁には、何かが引っ剥がされたような跡がありました。
…まさか、撤去されてしまった?
しかしこんな「碑」なんて、撤去されるようなものなんですかね。
近くに移されたのかと思って周囲を探してみましたが、見つかりませんでした。
総務省のホームページに載っているものなのに、撤去されてしまうなんて…
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なぜ小田原空襲の碑は、撤去されてしまったのでしょうか。
レストランがすでに閉業していたようですが、それと関係があるんでしょうか、復活の可能性はあるのか…。
設置にはなんか費用とかかかったりするんでしょうかね。
近くにある「小田原城」は最近、十億円かけて大改修されたというのに。
小田原城も小田原空襲も同じ小田原の歴史なはずなんですが、その扱いの違いに少し哀しくなってしまいました。
小田原を観光できる今のこの平和が、多くの人の苦しみの上でたどり着いたものだということを知る上でも、それを知らせるものは残していった方がいいと思います。
(訪問月2018年8月)