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群馬県安中市松井田町にある産業遺産、碓氷第三橋梁(めがね橋)を歩いてきました。
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碓氷第三橋梁は、碓氷川に架かるレンガ造り四連アーチ式の鉄道橋です。
この橋は昭和38(1963)年まで、国鉄信越本線の横川駅~軽井沢駅間で運用されていた「旧碓氷線」にあった橋梁のひとつで、長さ91m、高さ31mの旧碓氷線最大のレンガアーチ橋です。
明治25(1892)年12月5日の完成で、その設計は主に英国人チャールズアセントン、ワットリーパウネルが担当し、日本人では鉄道員技師の古川晴一が設計者の一人として参加したという。
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碓氷第三橋梁の橋梁上には、めがね橋駐車場からだと一度橋の下を通り、橋の横にある峠道を上がって行きます。
写真は橋脚から見上げる碓氷第三橋梁のアーチの裏側です。
この橋の構築に使われたレンガは202万8千個に及び、そのレンガは深谷や川口から運ばれたそうです。
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橋の足下を見ると、橋脚に無数の落書きがありました。
文化財が泣いています。困ったものですね。
碓氷第三橋梁は、旧碓氷線の他の四つのアーチ橋や隧道10カ所等とともに碓氷峠鉄道施設として重要文化財に指定されています。
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橋の下を通り抜け、橋梁上へと向かう峠道を登っていきます。
峠道といっても階段があり、橋の上まで二歳児が登って降りてこれるだけの距離です。
「山ヒル注意」「熊出没注意」との看板がありますが、山ヒルはともかく熊は注意しても対処が難しいところですね。
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階段を登り切ると、左手が碓氷第三橋梁となっています。
この橋の上を、昭和38(1963)年までアプト式ラックレールを採用した鉄道が走っていました。
見た目ではわかりませんが橋梁上も勾配があり、足場が斜めになっていて橋の上を歩いているとなんとなく不安な気持ちになります。
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碓氷第三橋梁上から下界を見下ろすと、ここに到達するまで車で走行してきた、曲がりくねった中山道が見えます。
ものすごい高さで、高所恐怖症の私は目がくらみそうになりました。
かつてはこんな高いところを列車が走っていたんですね。
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橋の欄干には、スズメバチが死んでいました。
色的にキイロスズメバチの死骸と思われます。
そういえばめがね橋駐車場からここまでの間に、何匹かのスズメバチに遭遇しました。
スズメバチが凶暴化する夏場は、山ビルや熊より注意すべき存在かもしれませんね。
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碓氷第三橋梁には、その東側と西側にひとつずつ二つの隧道がつながっています。
こちらは橋梁の東側、橋に直結している碓氷第五隧道で、横川駅方向のトンネルです。
トンネルの中に、待避所と思われる小部屋がところどころにあるのが目につきました。
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小部屋を見ながらふと、昔読んだ清水義範の短編小説「トンネル」を思い出しました。
「トンネル」は通勤帰りに鉄道トンネルを電車で走行中、トンネル内にあった小部屋でこたつに入って生活している青年と少女を見た、という話です。
それは自分より先に死んでしまった自分の兄と姉で、その二人からある事実を教えてもらうという話なのですが、そこはこんな感じの場所だったのでしょうか。
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こちらは碓氷第三橋梁の西側にある碓氷第六隧道。
トンネル内の温度は、外が夏の猛暑で35℃近いにもかかわらず22℃と、薄ら寒いトンネルです。
アプト式の旧碓氷線は、険峻の山間に列車を通すという困難な工事のために500名もの殉職者を出したとされ、そのため心霊スポットとも言われていたりします。
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アプト式鉄道の起工が明治24(1891)年、碓氷第三橋梁が明治25(1892)年に完成し、碓氷峠にアプト式鉄道が開通したのが明治26(1893)年のことです。
この鉄道の開通の翌年、大日本帝国は朝鮮半島をめぐって隣国清との戦争に突入し、その10年後にはロシア帝国との日露戦争を戦いました。
多くの犠牲者をだしながら帝国がアプト式鉄道の開通を急いだのは、戦争前に群馬と新潟、太平洋側と日本海側を陸路でつなぐ軍需物資や兵員の輸送路が欲しかったからと言われています。
(訪問月2018年8月)