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武蔵野市御殿山にある都立動物園、井の頭自然文化園を歩いてきました。
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娘と息子を連れて、井の頭公園の一角にある井の頭自然文化園にやってきました。
井の頭自然文化園の開園は、昭和17(1942)年5月17日のことです。
太平洋戦争の真っ最中で、この前月には東京初空襲があり、翌月にはミッドウェイ海戦でそれまで破竹の勢いだった日本海軍が大敗してしまいました。
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武蔵野市を訪問した日の前日は、台風24号が東京都内に吹き荒れた日でした。
そのため井の頭公園では、あちこちで巨木が根こそぎ倒れて悲惨な状況に。
あーあ、公衆トイレが壊れてしまいましたね。
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訪問したのは都民の日で、都民の日は井の頭自然文化園が入園無料になります。
加えて都民の日は、東京都の幼稚園や学校などが休みです。
そのため井の頭自然文化園内は、小さい子供を連れた家族連れでにぎわっていました。
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井の頭自然文化園正門入口から園内をまっすぐ北西へ進んでいくと、東屋があります。
東屋の向こうは柵で囲まれた大放飼場があり、場内ではヤクシカとツルが放し飼いになっています。
今回井の頭自然文化園を訪問した目的は、この大放飼場にあります。
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「ハート!」
大放飼場と東屋の間にあるアカマツの幹を見て、娘がそう表現しました。
アカマツの幹の、娘の背より低い場所の樹皮がハート形に剥がされていたのです。
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剥がされた場所をよく見ると、幹に無数のV字形の傷がつけられていて、全体がまるで矢羽根のような形をしています。
この傷はかつての太平洋戦争の末期、国民を動員して採取された松脂の採取跡です。
戦争末期、南方の資源地帯との補給線が切れ、航空機用燃料(ガソリン)が欠乏していた日本軍は、国内にある松の松脂から航空用燃料を作ろうと考え、これを国民に採取させました。
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大放飼場の場内や周辺には、このハート形の傷のついたアカマツがあちこちに見られます。
松脂の採取には老若男女、学生、児童まで動員され、全国町村に供出割り当てがなされたという。
この傷から採った松脂を工場で水蒸気蒸留し、航空機燃料に加工するテレピン油が精製されています。
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大放飼場の右側通路は、前日の台風の影響で一部が通行不可になっていました。
通路近くに立つ巨大なアカマツは強風の影響で傾いています。
倒れるおそれがあるためか、樹の根元にはセーフティコーンが蒔かれていました。
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茂みでちょっと見にくいですが、このアカマツの幹にもやはり傷がついています。
この傷も松脂を採られた痕のようですが、傾いて危険だからとアカマツ自体が撤去されてしまうかもしれません。
戦争末期多くのアカマツを犠牲にして採取された松脂ですが、しかしやはり実用化は難しかったのか、航空機用ガソリンとしての実際の使用記録は残っていません。
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採取推奨のための標語は「200の松根で1機の航空機が1時間飛べる」であったという。
非常に非効率的で労力とまったく見合ってない計画ですが、それでもやらなければならなかったところに、当時いかに大日本帝国が追い込まれていたかということを推察できます。
滅びゆく帝国がその断末魔において、最後の抵抗のひとつとして作ったハート形の傷跡は、今なお帝都の動物園の木々に残っています。
(訪問日2018年10月)