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豊島区西巣鴨にある教育施設跡地、マハヤナ学園跡を歩いてきました。
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息子とともに豊島区西巣鴨にある私立大学、大正大学にやってきました。
大正大学は大正15(1926)年、天台宗大学と豊山大学、宗教大学が合併して設立された大学です。
仏教系の大学で、大学構内には仏教文化施設・すがも鴨台観音堂も建っています。
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大正大学5号館の8階には、「座・ガモール クラシック 鴨台食堂」という食事処があります。
学食というよりはレストランといった雰囲気で、お客さんも学生というより高齢者が多かったです。
「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨らしいといえば巣鴨らしいですがね。
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週替わりのシェフのおすすめランチ1300円。
座・ガモール クラシック 鴨台食堂はプリンスホテルの元料理長が腕を振るっており、学食ながらプリンスホテルの味が楽しめます。
ランチは上品な味で美味しかったですが、学生にはランチとしては少し値段が高めかもしれませんね。
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座・カモール クラシック 鴨台食堂のある5号館8階からは、西巣鴨の街並みが見下ろせます。
真下に見える通りは、巣鴨地蔵通り商店街から明治通り方向へと続いている庚申塚商栄会。
庚申塚商栄会の通りの向こうの住宅地の中に、数棟の都営アパートらしき団地が見えます。
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大正大学を出て庚申塚商栄会の通りを横断し、住宅地の中に入ると裏路地に井戸を発見しました。
右手の家屋に寄ってはいますが、井戸は路上にあって交通の妨害となりかねません。
ただでさえ狭い道、これでは軽車両でもないと車の通行はできないでしょう。
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「川本式」と書かれた手押しポンプがつけられた井戸です。
今も使われているようで、水がでるところに覆いがしてあります。
よく見ると、水受けの一部から赤いレンガが顔を覗かせていますね。
なぜこんなところにレンガが使われているのでしょうか。
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井戸の南西側は、大正大学から見下ろせた西巣鴨二丁目アパートになっています。
大きな敷地を必要とする都営団地は、軍用地などかつてそこにあった大規模施設の用地を転用して建てられていることが多い、というのがこのブログの持論です。
この都営団地の敷地もけっこうな広さですが、ここにもなにか大きな施設があったのでしょうか。
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都営アパートが見える位置から振り返ると、団地と戸建の住宅との境界に、なにやら古そうな赤レンガの塀が建っていました。
レンガ塀は中途半端なところでぶった切られており、違う形の塀が後をつないでいます。
このレンガ塀は、もともとこの民家のための境界塀として構築されたものではないのかもしれませんね。
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壁面に長手のみを見せる段、小口のみを見せる段を一段一段交互に積み重ねるイギリス積みのレンガ塀です。
全体的に黒ずんでおり、ところどころ破損状況があって、かなり年季が入っていそうな感じです。
いったいいつごろ構築されたレンガ塀なんですかね。
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ここでちょっと日本を占領した米軍が昭和22(1947)年に撮影した、西巣鴨二丁目周辺の空中写真を見てみます。
真ん中に二つ「日」の形をした大きな建物がありますが、これが今の西巣鴨二丁目アパートの敷地に該当します。
右側の「日」は右下の端が若干飛び出していますが、ちょうどこの突き出た先にレンガ塀があることになります。
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都営西巣鴨二丁目アパートの北西側には、私立の淑徳巣鴨中高等学校が建っています。
淑徳巣鴨中高等学校は第一次世界大戦が終結した年の翌年の大正8(1919)年、大正大学の前身である宗教大学の卒業生で、浄土宗僧侶の長谷川良信により創立された学校です。
先ほどの空中写真にも、二つの「日」の北西にこの淑徳巣鴨中高等学校のものと思われるグラウンドと校舎みたいなのが見えました。
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都営西巣鴨二丁目アパートの南東側はというと、淑徳巣鴨中高等学校の第二体育館があります。
よって淑徳巣鴨の学生がこの第二体育館へ行くには、都営西巣鴨二丁目アパートの敷地を通っていくという面白い配置になっています。
この淑徳巣鴨中高等学校第二体育館前には、豊島区教育委員会が設置した「マハヤナ学園跡」という説明板が立っていました。
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説明板には、「マハヤナ学園は、かつてこの付近にあった貧困層が多く住む『二百軒長屋』と呼ばれる地域に、社会事業家の長谷川良信(1890-1966)によって創設された総合社会事業施設である」うんぬんと書いてあります。
写真にあった二つの「日」は、このマハヤナ学園だったようです。
マハヤナ学園が創立されたのは、第一次世界大戦が終結し、大戦景気に沸いた大日本帝国が戦後不況へと突入していく大正8(1919)年のことでした。
先ほどのレンガ塀も、このマハヤナ学園と何か関係があるのでしょうか。
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淑徳巣鴨中高等学校第二体育館の敷地内には、マハヤナ学園を創立した長谷川良信先生正彰徳碑が建っています。
第一次世界大戦の戦勝国となり、欧州への物資の輸出で豊かになった大日本帝国ですが、その富は偏ったものとなっていて下層の人々の生活は困窮しており、大都市ではスラム街が形成されていました。
社会事業家・長谷川良信は大正8(1918)年、西巣鴨にあった「二百軒長屋」というスラムに移住し、翌年ここにマハヤナ学園を創立して隣保事業を組織的・継続的に行ったという。
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第一次世界大戦の勝利によって五大国となった昇る太陽の帝国の陰に発生したスラムで、貧困にあえぐ子供たちを救うため生まれたマハヤナ学園。
経済的に発展し、大正ロマンなど華やかなイメージのある大正時代ですが、貧富の差は今とは比べものにならないほどひどかったそうです。
このような貧富の差の拡大は、やがて平等な社会の実現を目指す青年将校による二・二六事件を生み出し、それは太陽の帝国を滅亡させる太平洋戦争への道を作ってしまうことになるのです。
(訪問月2019年1月)