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新宿区若松町にある軍事遺跡、陸軍経理学校跡を歩いてきました。
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現在地は都営新宿線曙橋駅直近にある商店街、あけぼのばし通り商店街です。
普通の商店街ですが、昔この通りは「フジテレビ通り」と呼ばれていました。
それはフジテレビが開局間もない1959年から1997年までの38年間、ここあけぼのばし通り近くに本社を置いていたことに由来します。
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あけぼのばし通り商店街は、歩いてみるとところどころにハングルの看板を見かけます。
日本語と併記ならわかりますが、ハングルだけだと何を書いてあるかさっぱりです。
ここは韓国人や朝鮮人の多い商店街なんでしょうか。
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曙橋駅から200メートルほど北へ続くあけぼのばし通り商店街を通り過ぎると、通りは途端にお店が少なくなってきます。
右手にかわだ児童遊園という、区営アパート前のちょっとした緑地がありました。
あけぼのばし通り商店街散策の骨休めには、ちょうどいい場所かもしれませんね。
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かわだ児童遊園の先に「Asia市場&ソウルフライドチキン」という韓国食品スーパーがありました。
入店して韓国食材を購入してみましたが、店員さんは日本語ができないのか、買い物をしても一言も口をききませんでした。
またこの店の対面は「春川タックカルビ」という韓国料理店であり、なんかこの付近は韓国率が高いような気がしますが、なにかあるんでしょうかね。
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Asia市場の東側には、フジテレビの跡地にできたUR都市機構コンフォガーデン住宅の巨大な建物が見えます。
一時期は「韓流ゴリ押し」をしていると噂されデモの対象にもなったフジテレビ。
この付近に韓国色が強いのは、かつて河田町にフジテレビ本社があったことと関係があるのでしょうか。
もっともフジテレビがお台場に移転したのは、韓流が流行る10年くらいの前のことですが。
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河田町から北にある若松町の方へ歩いていくと、UR都市機構コンフォガーデン住宅の北側に東京韓国学校がありました。
大日本帝国滅亡後の昭和29(1954)年に創立された東京韓国学校は、在日韓国人や日本に駐在するニューカマーの韓国人ビジネスマンの子弟が通う学校です。
韓国人子弟の中でもエリートが通う学校と言われており、近くには日本語教育を行っている塾などもあって、あけぼのばし通り商店街に韓国色が強かったのはこのためかもしれません。
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東京韓国学校から北側の区域は早稲田大学先端生命医科学センター、東京女子医科大学、成城中学校・高等学校といった教育機関が集まる文教地域となっています。
加えて早稲田大学先端生命医科学センターの北側に都営若松町アパート、その向かいに東京女子医科大学病院第一病棟と大きな建物ばかりが建っていて、この周辺に一般個人宅はありません。
教育施設、都営団地、病院、公園と大規模施設ばかりが集まる場所と言えば……
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こちらは大正8(1919)年に作られた若松町・河田町付近の地図です(「今昔マップ」より作成)
左上部にはかつて当ブログで取り上げたことのある陸軍砲工学校があります。
中央に黄色でマーカーした「経理学校」というのがありますが、これは明治33(1900)年から昭和17(1942)年までの間この地にあった、日本陸軍の教育機関「陸軍経理学校」のことです。
この辺りはかつて陸軍省の所轄地だったわけですね。
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東京女子医科大学病院総合外来センターの北側を通る路地裏までやってきました。
この路地は大久保通り沿いにあるダイナシティ新宿若松町、デュロス若松町といった集合住宅の裏手にあたります。
この場所に当時の陸軍経理学校の敷地を囲っていた、赤レンガの軍用地境界塀が残っています。
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やや破損が見られ、隙間から雑草が生えていながらも集合住宅と路地を隔てるフェンスの土台として活用されている赤レンガの軍用地境界塀。
少し前まではこのレンガ塀、破損しつつも当時のままの状態で残されていたそうですが、マンション建設に伴い塀の上側の部分が壊されてしまったようです。
採光や風通しの問題でしょうか。それでもすべて取り壊されずよかったです。
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レンガ塀上のフェンスが立てられている部分には、軍用地境界標石と思われるものがにょっきりと顔を出しています。
場所はレンガ塀の裏側、つまり集合住宅側であり、レンガ塀が半分取り壊されたために路地側に顔を出したようです。
風化してしまって文字が判読できませんが、形状的にも場所的にも軍用地境界標石で間違いないと思います。
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フェンスの隙間から集合住宅の敷地内を覗いてみると、他にも軍用地境界標石のようなものが見えました。
暗くてはっきりとは見えませんが、どうもレンガ塀から横を向いて何か文字が書いてあるように見えます。
場所、形状等から考えて、これも軍用地境界標石と判断してよさそうですね。
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食糧の買付や給料の支払い、装備品の支給等軍隊にとっての「雑務」を担う経理部将校は、部隊の動きに先回りして動き回る必要があり、イメージに比べて常に忙しく、優秀な者でなければ務まりませんでした。
しかし戦闘を主目的とする軍隊では「戦わない将校(実際はそんなことはない)」としてどうしても蔑視されがちなポジションであり、その能力、貢献度に比べて評価されない損な役回りであったという。
そんな日本軍のエリート、経理部将校を養成した陸軍経理学校の遺構が、今も若松町の路地裏に残っています。
(訪問月2018年12月)