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台東区東上野に所在するオールドカマー系コリアタウン、東上野キムチ横丁を歩いてきました。
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JR上野駅からみて南側、首都高を越えた先に「キムチ横丁」と呼ばれるコリアタウンがあります。
有名な新大久保に比べ規模は小さいですが、狭い一角に焼肉店、韓国食材店、キムチ専門店などが所狭しと並んでいます。
このコリアタウンができたのは敗戦後間もない昭和23(1948)年のことで、これは都内のコリアタウンではもっとも歴史があると言われています。
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第二次世界大戦の敗北で物がなく配給統制された時代、都内には多くの闇市が形成され、上野駅周辺にも上野の漢字を反対にした「ノガミの闇市」がありました。
キムチ横丁は、勃興したノガミの闇市から在日コリアン業者が枝分かれし「国際親善マーケット」として作られた商店街です。
当初上野駅周辺で闇市をやっていた在日コリアンは東京都からの強制退去令を受け、ここ東上野に集団で移転してきたことをその始まりとしています。
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キムチ横丁は通りに面して間口の狭い韓国食材・料理店が並んでおり、写真は焼肉・冷麺・京城料理店の「大門」です。
京城とは、朝鮮半島が大日本帝国の統治下にあったころ、朝鮮総督府が置かれていた「京城府」のことですかね。
大日本帝国が滅亡し、朝鮮半島が解放された後もしばらく京城の名が使われていましたが、公式に京城の名が消えたのは昭和21(1946)年10月18日のソウル特別市の設置の時です。
以降京城は、日本統治断罪・完全否定の観点から、差別用語として認識されているそうですが…
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こちらは京城の現在の名前「ソウル」の名を冠する韓国料理店。
このお店では犬の肉を使用した料理「ポシンタン」が食べられるとのことです。
戦中・戦後の食糧難の時代、日本でも犬が食べられたことがあったそうですが、朝鮮半島では今なお伝統文化として犬食が盛んと言われています。
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ポシンタンはやめておき、キムチ横丁中央付近に位置する第一物産上野本店にて美味しいと評判のキムチとチャンジャを購入しました。
日韓関係は現在、レーダー照射問題や徴用工の問題などで良好とは言えませんが、韓国料理や韓国食材を愛する日本人は多いと思います。
近年では韓国から多くの人が観光に日本へやってくるなど、日韓関係は一言では言い表せない複雑なものとなっていますね。
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ちなみにキムチ横丁では2018年9月12日に火事が発生しています。
路地の一角に位置する老舗の焼き肉料理店「京城苑」は、この時近隣で発生した火災から延焼してしまい、訪問時は休業中でした。
このお店も「京城」の名を冠していますが、京城は差別用語と言われながら使われ続けるなどやはり日韓関係は特殊ですね。
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大門や第一物産の裏手には、幅が1メートルくらいしかない細い路地があります。
この路地沿いにも居酒屋や焼肉店が何店か並んでいるのですが、何が出てくるかわからないような、ディープな香りのする空間になっています。
道にせり出した複数の看板や提灯、路地に置かれたポリバケツや瓶ケースなどが大陸系アジアっぽい雰囲気を出しています。
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夜間帯になると「東上野コリアンタウン」と書かれた提灯に灯りがともりますが、あまり人の往来はなく常連さん専用といった雰囲気です。
話し声等も筒抜けっぽい木造の建物が、狭い範囲に身を寄せ合うように密集していて、人同士の繋がりも相当濃そうなキムチ横丁。
敗戦で物がなく、身を寄せ合うようにしなければ生きていけなかった戦後の時代にできた闇市は、このような雰囲気だったのでしょうか。
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大日本帝国の滅亡後上野駅周辺にできた「ノガミの闇市」は、警察の権力も及ばない無法地帯で勢力争いも絶えなかったという。
闇市では復員兵やテキ屋、出稼ぎの人などの間で勢力の抗争がありましたが、なかでも在日コリアンの勢力は強く、たびたびいざこざが起きたために行政が介入して集団移転となったそうです。
戦後の混乱の中で生まれたキムチ横丁は、今なおノガミの闇市の趣を色濃く残し、独特の雰囲気を醸し出しています。
(訪問月2018年12月)