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千葉県成田市の廃線路、成宗電気軌道跡を歩いてきました。
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京成線に乗って、千葉県の成田市までやってきました。
現在地はJR成田駅と京成成田駅の中間あたりを走る市役所通り上です。
JR成田駅、京成成田駅どちらにも徒歩2、3分で行けてしまう一等地のこの場所に、一見して廃墟かと思われるビルが建っていました。
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蔦が絡まりまくり、外壁の塗装もあちこちで剥げている廃墟チックな外観のビル。
傾いた黄色の「スナックDream」という看板の下に地下へと続く階段があり、また「パブサロンスイートピー」と書かれたポスターの左にも入り口がありますが、どちらもどう見ても営業しているようには見えません。
中途半端なボロさがかっこいい建物ですね。
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そんな市役所通りを成田市役所方向へ100メートルほど歩くと、市役所通りと交差する「電車道」という名の道路に出ます。
この道路の名前は、かつてこの場所を走っていた旧成宗電気軌道を由来としています。
旧成宗電気軌道は、成田山新勝寺と宗吾霊堂との参拝客の輸送を目的に、明治44(1911)年に開通した全線5.3キロメートルの電気軌道です。
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電車道はJR成田駅のロータリー前から成田山新勝寺の山門前まで続いています。
旧成宗電気軌道は太平洋戦争中に不要不急線として廃線になりましたが、当初は複線の電車で幅も広く、廃線跡を道路として転用することができたようです。
このへんは北区王子のJR貨物北王子線と比較されますね。
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この電車道を成田山新勝寺方向へ歩いていくと、やがてレンガ造りのトンネルが姿を現します。
成宗電気軌道の遺構として、電車道には二つのトンネルが残っています。
先に見えてくるこちらは成宗電気軌道の第二トンネル跡です。
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だいぶ汚れてはいますが、美しいレンガアーチを描く全長40.8メートルの第二トンネル。
成宗電車は当初、成田山参道に軌道を敷設する計画でしたが、参拝客が通らなくなり衰退することを危惧した門前町が反対したため参道を迂回して門前に至るルートとなり、このルートに二つのトンネルが築造されました。
トンネルは明治43(1910)年の完成ということで、すでに築造から100年以上の年月が経っています。
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成宗電車第二トンネルの成田山側出入り口。成田駅側に比べるときれいですね。
トンネルの脇には、成宗電車第一・第二トンネルの解説板があります。
解説板には成宗電車第一・第二トンネルは2014年11月12日、千葉県では10か所目となる土木遺産に認定されたとの記載がありました。
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成宗電車第二トンネルから70メートルほど成田山方向へ歩くと、今度は成宗電車第一トンネルが見えてきます。
第一トンネルの東側には成田山が運営する成田幼稚園があり、成宗電車運用時はここ成宗電車第一トンネルと第二トンネルの間に「幼稚園下」という停留所があったそうです。
右手に成田幼稚園の駐車場がありますが、かつてはここに停留所があったのでしょうか。
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成宗電車第一トンネルは全長12.2メートルと第二トンネルに比べて短いです。
トンネルの壁面には等間隔で穴が空いていますが、ここには電灯でも設置されていたのでしょうか。
レンガは下の方がイギリス積み工法で構築されていますが、途中から長手積みになっているのがわかります。
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旧成宗電気軌道は収支が赤字だったから廃線となったのかと思いきや、利用客は多かったようで収支はずっと黒字だったそうです。
昭和19(1944)年12月の太平洋戦争後期、帝国の資源不足が深刻だったこのころ、成宗電車は遊覧的色彩が強いことを理由に、不要不急線として政府の命令により営業廃止にされてしまったという。
しかし明治・大正・昭和という激動の時代を経た成宗電車第一・第二トンネルは、築造から100年以上が経過した今でも、人々の交通を支え続けています。
(訪問月2019年2月)