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足立区西新井にある寺院、西新井大師総持寺を歩いてきました。
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子供たちと一緒に東武大師線に乗って、大師前駅にやってきました。
東武大師線は、もともと東武鉄道の東武伊勢崎線西新井駅~東武東上線上板橋駅を路線で繋ぐ「東武西板線」計画のうち、用地確保ができた区間を利用して昭和6(1931)年に開業した路線です。
しかし東武西板線の計画は関東大震災や路線予定地の市街地化などの諸事情により中止されたため、その名残である東武大師線はわずか二駅という短い路線になっています。
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大師前駅には切符の券売機や精算機、自動改札機がなく、乗車券の購入や清算はすべて起点駅の東武伊勢崎線西新井駅で行います。
そのため改札口には、かつてもぎりの駅員がいた有人改札跡が今も残っています。
かつて乗車切符は駅員が改札バサミで切り口を入れていましたが、時折うっかり客のスーツの袖や自分の手を切ってしまうこともあったという。
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三階にホームがあり、一、二階は病院やドラッグストアとなっている大師前駅の駅舎。
当初の大師前駅は開業の昭和6(1931)年から昭和43(1968)年まで、今の場所から環七通りを挟んだ向かい、今の東武ストア大師前店がある辺りにありました。
昭和43(1968)年12月、環七通りの拡幅のために現在の場所に移転されたそうで、このため現在の大師前駅からは西新井大師参道を通らずとも西新井大師に行けるようになっています。
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大師前駅から目的の西新井大師までは徒歩1分です。
訪問日は桜が咲き誇る時期ということもあり、参拝客が多かったです。
写真左手に西新井大師牡丹園があり、右手に新しく建てられたという東門があります。
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東門から西新井大師の境内に入ると、すぐ左手に除夜の鐘がつけることで知られる鐘楼堂があります。
鐘楼堂に吊り下げられている梵鐘は、江戸時代に製作された由緒あるものだという。
しかしこの梵鐘は第二次世界大戦期、武器生産に必要な金属資源が不足した大日本帝国の金属類回収令により供出させられた過去を持っています。
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金属資源として供出された梵鐘ですが、どういった理由なのか結局潰されることはなく終戦まで残され、戦後は戦利品として戦勝国アメリカへと渡っています。
梵鐘はアメリカ海軍クリーブランド級軽巡洋艦パサデナによってアメリカへ持ち帰られ、艦と同名のカリフォルニア州ロサンゼルス郡のパサデナ市へ寄贈されることになり、長く同市役所の玄関ロビーに丁重に飾られていたという。
鐘楼前にある説明板には、戦後十年が経過した昭和30(1955)年、梵鐘は日米親善の絆としてパサデナ市より返還され、西新井大師へ戻ってきた経緯が記されています。
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なお西新井大師境内東側にある書院前には、これとは別の緑青の梵鐘が雨ざらしの状態で置かれています。
西新井大師は梵鐘が戻ってくることは予想外だったのか、返還の三年前の昭和27(1952)年1月、すでに新たな梵鐘を造ってしまっていました。
この梵鐘はその時に再鋳造された梵鐘だそうで、こちらも見事な梵鐘なのですが旧梵鐘が帰還した際に付け替えられてしまったんですね…
力石の上に佇むその姿は、再び梵鐘として使われる出番を待っているように見えました。
(訪問月2019年3月)