P_20190818_110000
群馬県高崎市棟高町にある軍事遺跡、陸軍前橋飛行場跡を歩いてきました。
P_20190818_112117
子供たちを連れて、群馬県高崎市にあるイオンモール高崎にやってきました。
イオンモール高崎は2006年にオープンしたイオンモールが運営するショッピングセンターです。
昔はショッピングセンターに行くというと、ジョージ・A・ロメロ監督の『ドーン・オブ・ザ・デッド』を思い出してわくわくしたものですが、今や当たり前の存在になってしまいましたね。
BlogPaint
昼時だったので、モール内の和ダイニング「四六時中」でお子様カレーやそばなどを食べる子供たち。
最近はようやく服にこぼさずに食べられるようになってきました。
しかし二人とも好き嫌いが多いのが悩みどころです。
BlogPaint
イオン高崎から西毛広域幹線道路を挟んだ南側には、イオン高崎店の広大な駐車場と、さらにその向こうには農地が広がっています。
イオンはこの農地の一部を買い取って駐車場にしたんですね。
このイオン高崎南側駐車場を含む農地及びその向こうの住宅地には、かつて大日本帝国陸軍の飛行場「陸軍前橋飛行場」があったと言われています。
maebashi
上は戦後の昭和23(1948)年にアメリカ軍が陸軍前橋飛行場跡上空を撮影した空中写真です(国土地理院のホームページから抜粋)。
陸軍前橋飛行場は通称・堤ヶ岡飛行場と呼ばれ、太平洋戦争中の昭和18(1943)年5月から陸軍が土地を測量、買収して飛行場建設が進められ、昭和19(1944)年3月には滑走路に金網を敷いて最初の飛行機が着陸しました。
前橋飛行場の敷地は160ヘクタールにも及び、建設にあたっては地元の堤ヶ岡村をはじめとする周辺町村住民に連日の勤労奉仕が課せられたという。
P_20190818_110112
陸軍前橋飛行場には、本部、兵舎二棟、格納庫七棟、グライダー棟、講堂、食堂などの建物があったそうです。
敗戦後、飛行場跡地は農地に開拓され水田地帯となり、飛行場の存在を知らせるものはほとんど残っていません。
しかしイオン高崎の南南西方約900mの位置にある住宅地の中には、陸軍前橋飛行場の格納庫の遺構と言われる基礎コンクリートが残っています。
P_20190818_110000
格納庫の基礎コンクリートは砂利混じりのコンクリートで造られていましたが、その付近にもいくつか同じような砂利混じりのコンクリート塀が見られます。
詳細はわかりませんが、集合住宅と個人宅の用地を仕切るために使われているこちらの塀も、塀が途中から突然古いものに切り替わっていて、ひょっとすると陸軍前橋飛行場の遺構かもしれません。
陸軍前橋飛行場では宇都宮飛行学校前橋教育隊、熊谷飛行学校前橋分教場となって特別操縦見習士官や少年飛行兵に飛行訓練を実施したり、中島飛行機製作所の分工場が分散疎開工場として移転してきて陸軍四式戦闘機「疾風」の製作を行ったりと、完成から敗戦までの短い間に様々な施設が構築されたそうです。
P_20190818_110012
陸軍前橋飛行場は特別攻撃隊の訓練基地にもなっており、終戦半年前には第8飛行師団の第36・37・38飛行隊の九八式直接共同偵察機36機がこの地で特攻の訓練を行っています。
帝都に初空襲を許した昭和17(1942)年春以降、日本軍は飛行兵を養成するために訓練用の飛行場を全国に建設し、前橋飛行場もそのひとつだったとされています。
しかし前橋飛行場は帝国の命運とともに、若者に旧式の偵察機での体当たり自爆攻撃をさせるための訓練場に変わっていきました。
自国の未来を担う若者を育てるはずが、いつしか特別攻撃という名の自爆攻撃を若者にさせるようになっていった大日本帝国に、待ち望んだ神風が吹くことはありませんでした。
(訪問月2019年8月)