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群馬県利根郡みなかみ町後閑の喫茶店、ドイツコーヒー夢に行ってきました。
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現在地はJR東日本上越線の後閑駅前交差点です。
後閑駅は2019年8月の時点で無人駅であり、時刻表を見ても一時間に一本程度しか電車が来ない小さな駅です。
しかし駅前には、このあたりでは稀少と思われるセブンイレブンがあったりします。
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そのセブンイレブンに隣接、というか裏側の、後閑駅から徒歩1分とかからない位置に、金色のフィールドに黒い鷲というドイツの国章を掲げた三角屋根のお洒落な喫茶店があります。
こちらが今回の目的地「ドイツコーヒー夢」です。
ドイツに行ったことはありませんが、こういう形の家が多いんですかね。
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外観から想像できますが、お店の中は客が三組入ればいっぱいになってしまうくらいの狭さでした。
しかし中は時計やランプなど、ドイツのものと思われるアンティークな調度品で溢れており、洗練された空間になっています。
入った時は声をかけても誰も出てこなかったので、ドアは開いてたけど閉店中かなと思いましたが、自分たちが入ってきたドアから女性の店長さんが現れてびっくりしました。
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カウンター下のガラスケースの中には、こちらもドイツのものと思われる小物が所狭しと並んでいます。
ドイツ軍のシンボル鉄十字のついた航空機やドイツの食器、はてはドイツ軍人の白黒写真などがありました。
ドイツ尽くしですが、ドイツ軍率が喫茶店にしては高めな気がしますね。
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そんなガラスケースの隅に、「夢のおじさん」と書かれた人形が置いてありました。
ドイツコーヒー夢は現在でこそ、軍や戦争とはあまり関係のなさそうな女性の店長さんが営業されておりますが、2010年までは太平洋戦争中ラバウルで日本兵として連合国軍と戦い、米豪軍の捕虜となった後に復員した「夢のおじさん」が営業されていたそうです。
「夢のおじさん」がドイツ好きだったのは、当時大日本帝国がドイツ・イタリアと三国同盟を結んでいたからだったと、後を継いだ「夢のおじさん」の娘さんである店長さんが語っておりました。
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店の奥には「夢のおじさん」を模して作ったというお面が飾られています。
うちの子供たちは、このお面を見て「怖い」と連呼しまくったため、店長さんは苦笑しながらわざわざお面を一時的に撤去してくれました。
店長さんが7、8歳のころに作ったものだったそうです…スミマセン。
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ドイツコーヒー夢では、水も軍用のものと思われる水筒で出てきます。
ちなみに日独伊三国軍事同盟なのになんでイタリアはないのか聞いてみたところ、イタリアは弱かったからだそうな。
敗戦続きで、第二次世界大戦の中盤にあっさり連合国軍に降伏してしまったイタリア王国。
あまりの弱さにドイツ人と日本人の間では、「次はイタリア抜きでやろう」という冗談が生まれたという。
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そんなドイツのコーヒー、アインシュペンナー。
ドイツで焙煎された豆を使った、上にクリームの乗ったホットコーヒーです。
苦みと甘みのバランスが取れていてがとても美味しく、また飲みたいです。
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食事のメニューは、すべて一枚の絵によって表現されています。
ドイツ料理が大半ですが、その中でも異彩を放っているのがこの、おじさんがニューブリテン島ラバウルの戦場で食べた辛い辛い「野戦料理」。
メニューの絵には撃墜された日本軍航空機と、地下壕の中でフライパンのまま食事を摂る日本兵の姿が描かれています。
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注文すると絵のまま、フライパンに乗って出てくる豪快なキャベツ・玉ねぎの入ったピリ辛焼きうどんの野戦料理。
味は辛いは辛いですが、箸がよく進むちょうどいい辛さと旨さでオススメです。
しかし店長さんによると実際の野戦料理はこんな美味しいものではなく、現地では材料にヘビやカエルを使っていてその臭みを消すため香辛料をたくさん入れ、そして食欲を出すためにわざと辛くしていたのだそうです。
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ラバウルでヘビやカエルの野戦料理を食べて連合国軍と戦い、オーストラリア軍の捕虜となった「夢のおじさん」。
特にオーストラリア軍の日本兵捕虜に対する扱いはひどいもので人間扱いされず、そのために夢のおじさんは生涯アンチ・オーストラリアだったという。
オーストラリア軍での捕虜生活中、アメリカ軍の捕虜収容所へ移動できる機会があり、アメリカ軍捕虜収容所へ行くと待遇がとてもよく扱いに天と地の違いがあったそうです。
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ちなみに夢のおじさんは絵がうまかったそうで、店内に飾られた絵画やメニューの絵はすべておじさんが描いたものだとのことです。
絵の技能は捕虜生活中も役立ったそうで、アメリカ軍捕虜収容所で絵を描いてみたところそれがアメリカ軍の目に留まり、その後は労働しなくていいので絵だけ描いてろと言われて楽だったという。
「芸は身を助ける」とは、まさにこのことですね。
(訪問月2019年8月)