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台東区谷中にある児童公園、芋坂児童遊園を歩いてきました。
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子供たちを連れて、台東区立芋坂児童遊園にやってきました。
この公園はJR日暮里駅の南東100メートルの位置、JRの線路沿いにあります。
電車が公園の真横を通っていくため、電車好きな子供にはうってつけです。
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芋坂児童遊園は上野台地の崖下にある公園で、台地の上にある住宅地から坂道を降りた先にあります。
「芋坂」の標識から児童遊園へと降りていく坂道の崖側の擁壁に、文京区の牛天神で見たような、ガンタ積みとなっているレンガ壁が顔を覗かせていました。
大正12(1923)年の関東大震災で発生した震災瓦礫を積み上げたものが多いというガンタ積みですが、これもその時代の擁壁なのでしょうか。
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芋坂児童遊園は子供が走り回れるくらいの、都心としてはけっこう広い公園です。
しかし遊具は申し訳程度の砂場と古びた滑り台、幼児用のブランコがあるだけでがらんとした雰囲気です。
また公園は芋坂跨線橋という橋の下にあり、特殊な環境からなんとなく不思議な雰囲気が漂っています。
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そんな芋坂児童遊園の隅っこには、ひっそりと一基の石碑が建立されていました。
碑の正面には「殉職碑」と刻まれており、側面には「日本国有鉄道総裁 十河信二書」とあります。
鉄道工事における殉職者の慰霊碑と思われますが、この公園は旧国鉄と関係があるのでしょうか。
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よく見ると公園のあちこちには、公園を取り囲むように境界標石が七本埋まっていました。
「工」のマークが入っているこれら境界標石は、旧国鉄の用地であることを示すものです。
「工」マークは国鉄を所有していた明治時代の官庁・工部省に由来しています。
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これらを見るに芋坂児童遊園は台東区立ですが、もともとは国鉄の用地であり、後年台東区に払い下げられたか貸し出されたものと思われます。
よく見ると芋坂児童遊園の古い石積み擁壁の隙間からは、かつて何かを固定していたと思われる錆び付いた金属片が複数見られました。
この金属片も国鉄時代のものなのでしょうか。
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足下を調べてみると、公園の地面の土の中にはなぜか「工」の形になっている金属が埋まっていました。
かつてここに何かが立っていて、それをぶった切ったような感じです。
「工」のマークは、電車が走るレールの断面図に見えなくもありません。
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さらに調べてみると、公園の中心付近に地面がコンクリートになっている箇所がありました。
基本公園の地面は土なのですが、一部だけなぜか剥き出しのコンクリートになっています。
L字型のコンクリート敷きは、まるで通路のように一直線に先へ続いています。
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コンクリートを見てみると、四つの金属片が写真のように埋まっています。
何かを固定するためのボルト痕かなんかでしょうか。
こんな形の金属痕が、コンクリートの通路に直線状にいくつも連なっていて、まるでレールのようなものを固定していたかのようです。
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直線上に並んだコンクリート。
その先は芋坂跨線橋の下を越えて、公園の終端である絶壁へと続いているように見えます。
このコンクリートはなんなんでしょうね。
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コンクリートの先、幼児用ブランコの斜め後ろには巨大な石積みの絶壁があります。
他に見られる芋坂児童遊園の擁壁に比べて綺麗で新しい感じで、比較的近年に造られたものと思われます。
ちなみにこの上は上野台地上にある谷中霊園となっており、ここで何らかの理由により台地を削り落としたようです。
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巨大な絶壁の左側は上野台地が一気に下に降りてきて、それにあわせて擁壁も低くなっています。
擁壁の向こうに見えるのは谷中霊園です。
金網越しに、陸軍戦車兵上等兵の墓石が建立されているのが見えました。
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芋坂児童遊園の上には、芋坂跨線橋が架かっています。
芋坂跨線橋は高さが低く、すぐ真下を山手線や京浜東北線が駆け抜けて行くため、電車の見学スポットになっているそうです。
電車好きな子供たちに引きずられるようにして、跨線橋に上がってみました。
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芋坂跨線橋からは真下を走るJRの車両と、高架線を走り途中大きくカーブして京成上野山トンネルへ入っていく京成線がよく見えます。
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年6月、当時国鉄を運営していた運輸省鉄道総局はこの京成上野山トンネルを接収し、トンネル内に空襲を避けるための臨時の地下庁舎、運輸省鉄道総局臨戦地下庁舎を造ろうとしたと言われています。
京成線と国鉄の線路を繋ぎ、各地に疎開させていた寝台車や食堂車等国鉄の優等車両を京成上野山トンネル内に入れ、その車両内で執務をとる予定だったという。
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京成線と国鉄では軌間が違ったためレールを敷きなおしたり、車両けん引のために電気機関車を持ってきたりして、なんとか国鉄の寝台車・食堂車等を京成上野山トンネル内に入れて開所したという臨戦地下庁舎。
しかし敗戦間近の夏場において、冷房も除湿機能もない車内での勤務環境は不快で過酷なものだったという。
結局のところ苦労して車両を入れたものの、臨戦地下庁舎はほとんど使われないまま敗戦を迎えることになったそうです。
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そんな臨戦地下庁舎開所にあわせ、山手線からの連絡線を設置しようと谷中墓地の一部を強制収容し、その下を通る臨戦地下庁舎への連絡用トンネルの掘削工事も開始されていたという。
その連絡用トンネルの入り口が、先ほどの芋坂児童遊園の巨大な石積み絶壁のところだったという話があります。
連絡用トンネルが本当にあったかどうかはわかりませんが、確かにちょっと不自然な感じのする石積みだと思いました。
(訪問月2019年10月)