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東京都小平市喜平町にあった軍事施設、陸軍経理学校跡を歩いてきました。
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現在地は西武多摩湖線一橋学園駅から徒歩で7分ほどの位置にある、財団法人全国建設研修センター前です。
全国建設研修センターは建設関係の試験や講習を実施する一般財団法人です。
研修センター北側には国土交通大学校が隣接しており、センター南には国交大通りが東西に走っています。
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全国建設研修センターと国交大通りの境界にはフェンスが設置されておりますが、一部だけ何故かレンガ塀が敷かれています。
それもよく見かけるレンガタイルを貼ったものではなく、本物のレンガをモルタルで積み固めたものです。
レンガ塀は長手のみの段と小口のみの段を交互に積み重ねたイギリス積み工法で構築されています。
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このレンガ塀、よく見ると上部が破損していたり、縦に亀裂が入っていたりして結構古いもののようです。
全国建設研修センターの設立は昭和37(1962)年。
今から57年前のことですが、このレンガ塀はそのころに構築されたものでしょうか。
それとも…
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全国建設研修センターから国交大通りを東へ歩いていくと、鬱蒼とした雑木林の中に2棟の集合住宅の廃墟が見えました。
こちらの廃墟は「小平住宅RB棟」となっていますが、どうも国家公務員住宅であったようです。
教育機関や公務員住宅の廃墟が建ち並ぶ場所といえば…
キャプチャ2
こちらは太平洋戦争の敗戦直後の昭和22(1947)年に米軍が撮影した小平市喜平町周辺の空中写真です。
太平洋戦争の開戦まで新宿区(牛込区)の若松河田にあった陸軍経理学校は、昭和17(1942)年戦争の激化とともに生徒数が増加したことにより、北多摩郡小平町、現在の小平市に移転してきました。
農家の畑を強制買収して確保した畑のど真ん中の広大な校地は、敗戦による陸軍の解体後、陸上自衛隊小平駐屯地や関東管区警察学校等に転用され、先ほどの全国建設研究センターや国土交通大学校も陸軍経理学校の元敷地です。
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小平住宅RB棟廃墟の西隣には喜平町みどり公園という小さな公園があります。
国交大通りに面する喜平町みどり公園の植え込みの中に、赤い標識が立っています。
小平市教育委員会・小平郷土研究会が設置したもので、標識には「陸軍境界石」と記載されています。
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標識の足下には陸軍経理学校敷地の境界を示す陸軍境界標石が埋まっています。
ただこの境界標石は、もともと現在より5メートル南にあったようです。
国交大通りの歩道の改修に伴い、公園内に移設されたとのことです。
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とすると、今の国交大通りの歩道が陸軍経理学校の軍用地境界であったわけですね。
そう思って歩いてみると、国交大通りの歩道上にいくつか埋没した境界標石らしきものがありました。
陸軍経理学校が移転してくるまでこの辺りは農家の畑だったわけですから、これらが陸軍経理学校の境界標石である可能性は高いと思います。
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喜平町みどり公園から東に進むと、やがて関東管区警察学校の正門が見えてきます。
関東管区警察学校の正門は少し変わった形になっていて、まず手前に門のない四つの重厚な門柱があり、その奥に実際に開閉ができる門扉のついた門があります。
二段構えのようになっている関東管区警察学校の正門ですが、この手前の無意味な謎の門柱は何なのでしょうか。
キャプチャ
上写真は陸軍経理学校同窓会誌「若松」から抜粋したものです。
若松河田から小平に移転してきた陸軍経理学校の正門と校歌と思われるものが載っています。
これと現在の関東管区警察学校の正門を見比べてみると…
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門柱が全く同じ位置にあり、本部棟へ左斜めに入っていく構図も同じです。
違う点は門扉がないことと、表札が縦から横に変わっていることくらいですね。
これが陸軍経理学校の校歌に歌われている「武城の正位門」なのでしょうか。
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「関東管区警察学校」の表札が掲げられた主門柱正面。
しかしよく見ると、かつて縦に表札が掲げられていたと思われる痕跡が残っています。
ここに「陸軍経理学校」と書かれた表札が掲げられていたと思います。
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主門柱の横を見てみると、上部にはU字型の錆び付いた金具が飛び出しており、下部にはもともと穴が空いていたのを塞いだ痕があります。
白黒の陸軍経理学校正門の写真を見ると、主門柱の上部には同じような金具があり、下部の穴からは門扉を地面に固定する金具が出ていたとわかります。
これに門柱の汚れ具合も併せて、関東管区警察学校の謎の門柱の正体は陸軍経理学校正門の門柱であると断定しました。
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関東管区警察学校正門から国交大通りをさらに東に進み、同学校の南東隅を左折しアカシア通りに出ました。
アカシア通りはもともと陸軍経理学校の校内通路ですが、アカシア通りの西側、関東管区警察学校のフェンス沿いには、一部フェンスからはみ出すようにして同学校のボロい建物が建っています。
破損が多いうえにやたらと屋根が分厚くなっている古い建物ですが、ひょっとすると陸軍経理学校の名残的建物なのかもしれません。
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こちらもフェンスから一部飛び出し、代替の金網によって守られている二棟の管区警察学校のオンボロ建物。
なぜかこの二棟のみは日本古来の瓦屋根となっています。
この二棟も昭和17(1942)年築といっても不思議ではありませんが、詳細はわかりません。
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アカシア通りの東側はUR都市機構小平団地となっており、賃貸の集合住宅が建ち並んでいます。
小平団地も陸軍経理学校の軍用地に戦後建てられたものです。
小平団地の団地内には多数の銀杏並木がありますが、これは経理学校の生徒が卒業記念に植樹したものだそうです。
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残る陸軍経理学校の用地には、陸軍の後身と言える陸上自衛隊の小平駐屯地と小平学校があります。
今の全国建設研修センター、国土交通大学校、国家公務員宿舎の廃墟、関東管区警察学校、UR小平団地、陸上自衛隊小平駐屯地と小平学校の敷地すべてをその用地とした広大な軍学校、陸軍経理学校。
校歌にある武城の正位門を門出した陸軍経理学校の卒業生は、会計や補給等を担う主計将校として、拡大しすぎて兵站確保に苦しむ太平洋戦争の各戦線へ赴任していきました。
(訪問月2019年10月)