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愛知県名古屋市中区にある軍事遺跡、陸軍第三師団司令部跡を歩いてきました。
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国の特別史跡、名古屋城を見学するために子供たちを連れて名古屋市中区にやってきました。
現在地は本町通りの北端にあたる二の丸交差点です。
周辺は愛知県警察本部をはじめ、名古屋法務局、名古屋地方裁判所、愛知県庁、名古屋市役所などがある官庁街で、交差点の北側は名古屋城の敷地となっています。
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地図は昭和8(1933)年頃の名古屋城周辺の地図です(「今昔マップ on the web」より抜粋)
旧国宝・名古屋城の周辺にはかつて、名古屋方面の出身者で構成された陸軍第三師団の師団司令部をはじめ、第三師団隷下の歩兵第五旅団歩兵第六連隊、騎兵第四旅団騎兵第三連隊、野砲兵第三連隊、輜重兵第三連隊といった陸軍の軍事施設が建ち並んでいました。
陸軍第三師団は明治21(1888)年に名古屋鎮台を母体に編成され、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、そして第二次世界大戦という大日本帝国の近代戦争すべてに参加した帝国の最も古い師団のひとつです。
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二の丸交差点から南に150メートルほど行った県警本部西交差点の近くには、第三師団隷下部隊の野砲兵第三連隊の石碑がひっそりと建っています。
野砲兵第三連隊の兵営は、この場所から本町通りを隔てた東方約50mの位置にあったとされています。
写真ではほとんど見えませんが、石碑には北白川成久王の御作という同隊の隊歌が刻まれています。
鳴海の海の波こえて 名古屋の城に春秋を
重ねて立てる鯱鉾の 黄金の色も照りはえて
御幸の度に御車を 迎へまつれるかしこさよ

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二の丸交差点の横断歩道を北側に渡ったところには、背丈が低くいたみの激しい煉瓦塀が残っています。
この煉瓦塀は、陸軍第三師団司令部の正面にあった煉瓦塀と言われています。
現在、煉瓦塀の先は独立行政法人水資源機構中部支社の敷地ですが、かつては今の金シャチ横丁のある辺りまで陸軍第三師団の師団司令部の用地でした。
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出来町通りに沿って、西に向かって約50mに渡り続いている煉瓦塀。
煉瓦塀は簡単に乗り越えられそうな高さで、塀越しに師団司令部の建物の威容が見えていたという。
煉瓦塀の終端には小平の陸軍経理学校跡で見たような石柱があり、この先に師団司令部の正門があったそうです。
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師団司令部の煉瓦塀を見学後、国の特別史跡・名古屋城に入ってきました。
1615年徳川家康によって築城された名古屋城は、大小天守閣、櫓や門、本丸御殿などが残存しており、昭和5(1930)には本丸御殿と天守閣が国宝第一号に指定されています。
しかし昭和20(1945)5年14月に発生した名古屋大空襲によって焼夷弾の直撃を受け、その大部分が焼失してしまいました。
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名古屋市では2009年1月から、焼失した本丸御殿の復元を開始し、2013年から入り口にあたる玄関、謁見の間である表書院などを公開しています。
名古屋城は国宝になり、精密な実測図面が作成されガラス乾板による写真が多数撮影されていたため、これら豊富な資料によって外観・構造ともに細部まで史実に忠実な復元となっています。
なお図面や写真は、第二次世界大戦中は疎開されて焼失を免れました。
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こちらは寛永11(1634)年の徳川家光上洛にあわせて増築されたお成御殿。
江戸時代は御書院・御白書院と呼ばれていたそうです。
本丸御殿で最も格式の高い建物であり、天井には板絵、部屋の境には極彩色の彫刻欄間がはめ込まれています。
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本丸御殿の隣には大天守と小天守が建っています。
天守閣も名古屋大空襲で焼失し、今の天守閣は戦後の昭和34(1959)年に再建された鉄筋コンクリート造りのものです。
現在この天守閣は、木造天守閣復元工事のため立ち入り禁止になっています。
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こちらは復元大天守のすぐ東側にある、本丸北側と御深井丸をつなぐ不明門。
不明門も名古屋大空襲で焼失してしまい、現在のものは復元です。
門の周りの石垣に黒い部分があるのは、焼夷弾による猛火のためでしょうか。
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不明門のすぐ近くには、空襲で焼けた御殿椿から接ぎ木育成した「御殿椿」が生えています。
御殿椿はもともと本丸御殿南の庭にありましたが、名古屋大空襲で御殿ともども火を被り、焼けた幹の下から新芽が伸びて生き続けたものの徐々に衰弱して現在では根株しか残っていないという。
この御殿椿は昭和30年頃に原木から接ぎ木したもので、いわば御殿椿2世ですね。
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不明門を出た先の御深井丸広場には、名古屋城二の丸に兵営があった歩兵第五旅団歩兵第六連隊の弾薬庫だったという「乃木倉庫」が建っています。
建物は煉瓦造りの平屋建てのもので、乃木希典が第三師団の前身である名古屋鎮台に在任していた明治初期に建てられ、誰言うとなく「乃木倉庫」と呼ぶようになったという。
乃木倉庫は名古屋大空襲による焼失を免れた貴重な建造物で、空襲の際は本丸御殿の障壁画や天井絵類の大半が取り外されここに保管されていたそうです。
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ちなみに歩兵第六連隊の兵舎は現在の名古屋城二の丸庭園の位置にあり、名古屋城の天守閣や本丸御殿とは違って空襲による焼失を免れました。
残った歩兵第六連隊の兵舎は、その一棟が現在愛知県犬山市の博物館明治村に移築展示されています。
焼失してしまった名古屋城は多額の費用を使って復元し、残った陸軍の兵舎は名古屋の外に移築したりそのまま取り壊したことに、敗戦によって日本人に染みついた軍隊=悪のイメージが表れていると言えるのかもしれませんね。
(訪問月2019年12月)