IMG_0617
杉並区高円寺北にある公園、馬橋公園とその周辺を歩いてきました。
IMG_0626
現在地は昭和60(1958)年開園の杉並区立公園、馬橋公園東側出入り口前です。
馬橋公園は、かつてこの場所にあった国立の気象研究所が筑波に移転した跡地に開園した区立公園です。
2万平方メートル近い大きな公園で、園内には児童用の遊具やグラウンド、池なんかがあります。
IMG_0629
馬橋公園東側入口の近くには、一基の軍用地境界標石が建っています。
「陸軍」と表記された境界標石で、頂部に境界点を示す十字が刻まれています。
この境界標石は、気象研究所より以前にこの場所にあった「陸軍通信学校」の軍用地境界標石と言われています。
IMG_0624
大きな池が特徴的な、馬橋公園に入ってみます。
陸軍通信学校の開校は大正14(1925)年、その敷地は今の馬橋公園の範囲と馬橋小学校、公務員住宅、NTT高円寺ビル、秀和高円寺レジデンスのある場所すべてを含む広大なものでした。
陸軍通信学校は座間に移転した陸軍士官学校の広大な練兵場を利用するため、昭和13(1938)年から昭和14(1939)年にかけて、当時の神奈川県高座郡大野村、現在の相模原市南区に移転しています。
IMG_0620
馬橋公園西側出入り口横にある材木屋との境界付近にも、陸軍通信学校の敷地西端を示す陸軍境界標石が残っています。
陸軍通信学校が相模原に移転すると、跡地には陸軍気象部が入ってきています。
大平洋戦争の敗戦で陸軍が解体されると、陸軍気象部は気象庁気象研究所に姿を変え、気象研究所の筑波移転までこの場所にありました。
キャプチャ
上の地図は昭和4(1929)年頃の陸軍通信学校付近の地図です(「今昔マップ on the web」より抜粋)。
中央にある同地にはしっかりと「通信学校」と記載されています。
しかしよく見ると、通信学校のすぐ北側を東西に走る太い一本の道に「陸軍用地」と記載されているのがわかります。
キャプチャ2
この軍用道路のような「陸軍用地」は、陸軍中野学校が昭和14(1939)年中野区囲町に開校される以前に同地にあった「陸軍電信第一連隊」の兵営から、杉並区天沼二丁目の日本大学第二中・高等学校前まで続いています。
この幅30~50メートルの横に長い陸軍用地は、陸軍電信第一連隊による電信線の架線工事演習場でした。
よく見ると地図上の演習場陸軍用地上には、電信柱らしき記号が点在しています。
IMG_0632
演習場跡地は敗戦とともにそこに住み着いた引き揚げ者等に払い下げられ、現在は住宅地になっていますが、当時の軍用地境界を示す境界標石がいくつか残っています。
こちらは高円寺北3丁目37番先にある、ほとんど埋まっている軍用地境界標石。
記載文字は見えませんが、頂部に十字が刻まれていることや境界標石の大きさ、場所を考慮すると演習場の軍用地境界標石だと思います。
IMG_0631
埋没した境界標石から、演習場跡地の西端である日本大学第二中・高等学校方向へ歩いていきます。
こちらは高円寺北3丁目39番先の交差点角にある軍用地境界標石。
上の白い部分に「陸」、下の黒い部分に「軍」と読めます。
IMG_0630
そこからさらに生活道路を西へ85メートルほど進むと、馬橋通りにぶつかります。
こちらは高円寺北3丁目39番先の交差点角にある軍用地境界標石。
誰かが交通事故でも起こしたのか、上側がちょっと欠けてしまっていますが、電柱に面している側に「陸軍用地」と表記があります。
IMG_0619
続いて馬橋公園を通り過ぎ、馬橋公園西北端から西へ600メートルほど生活道路を進んだ阿佐谷北4丁目3番先にある軍用地境界標石。
アスファルトに埋没している上に、上部が欠けていて表記が判別しにくいですが、なんとか「軍」と読めます。
この辺りは軍用地境界標石が集中して残っています。
IMG_0618
その向かい側にある、阿佐谷北4丁目2番先の軍用地境界標石。
風化が著しく読みにくいですが、なんとか「陸軍用地」と読めます。
もともとこの細長い陸軍用地は、陸軍鉄道大隊の鉄道敷設訓練や走行訓練に使われていた場所だったという。
IMG_0617
上記二つの境界標石から約30メートル北へ進んだ、阿佐谷北4丁目12番先にある軍用地境界標石。
誰かが写真を撮る際に使ったのか、表記文字の辺りに墨のようなものがついている。
随分と境界標石が密集していますが、ここに陸軍用地を横断できる横断路があったようです。
IMG_0616
さらに西へ60メートル進んだ阿佐谷北4丁目5番先にある軍用地境界標石。
だいぶ薄くなっていますが「陸軍」の表記が見えます。
IMG_0615
中杉通り、松山通りを挟み、さっきの境界標石から西へ約300メートルの地点にある、アスファルトに埋没した軍用地境界標石。
頂部に十字が刻まれており、大きさや位置関係から軍用地境界標石と思われます。
住所は阿佐谷北3丁目29番24号先となっています。
IMG_0614
その並び、阿佐谷北3丁目29番2号先にある軍用地境界標石。
何があったのか、表面がでこぼこになっていて表記文字は見えません。
塀側に表記があるんでしょうか?
IMG_0613
そのすぐ隣、同じく阿佐谷北3丁目29番2号先のブロック塀に埋没した軍用地境界標石。
こちらはなんとか「陸軍」と読めます。
隣の境界標石とかなり近いですが、ここにも陸軍用地を横断できる横断路があったようです。
IMG_0612
そこから西へ約100メートル、阿佐谷北3丁目29番11号先にある埋没した軍用地境界標石。
山吹あさがやきた保育園の門直近にあります。
この辺りは陸軍用地の終点に近いためか、50メートルくらいの幅がとられていたようです。
IMG_0611
山吹あさがやきた保育園から北西へ70メートルほど歩いた阿佐谷北3丁目33番先都営阿佐谷北三丁目アパート26号棟前にある軍用地境界標石。
電信隊演習地ではつるはしで地面に穴を掘り、電信柱を穴のそばに運び、さらに電線を運び、電線を電信柱に結び付けるという一連の架線作業が、戦地でスピーディに行えるようにするための訓練等が行われていたという。
電信隊というのは聞き慣れない部隊ですが、その活躍は戦争記録画・福田豊四郎作「スンゲパタニに於ける軍通信隊の活躍」等で見ることができます。
(訪問月2020年4月)