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東京都昭島市中神町にある軍事遺跡、陸軍航空工廠跡を歩いてきました。
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現在地はJR青梅線東中神駅東側に位置する村山街道踏切です。
2017年に東中神駅が改築される前は、東中神駅が一部の時間を除き改札が南口の一か所しかなかったため、駅北側に住む人は主にこの踏切を通って駅を利用、または帰路についていました。
駅が改築され北口改札も常時利用できるようになったのは、東中神駅北側に位置する在日米空軍基地「キャンプ・フィンカム」の昭島地区の再開発が進められているためとも言われています。
キャプチャ
キャンプ・フィンカムは太平洋戦争の敗戦以前までこの地域にあった軍事施設「立川陸軍飛行場」「陸軍航空技術研究所」「陸軍航空廠立川支廠」そして「陸軍航空工廠」等の敷地を接収して造られた在日米空軍基地でした。
米軍基地の全面返還後、立川陸軍飛行場跡地は陸上自衛隊立川駐屯地を始めとする立川広域防災基地、陸軍航空技術研究所と陸軍航空廠立川支廠跡地は国営昭和記念公園となりましたが、西部に当たる陸軍航空工廠跡地は返還から30年以上にわたり処分保留地とされ廃墟森林と化していました。
今回は、この陸軍唯一の飛行機製造部門として昭和15(1940)年4月1日に設置された陸軍航空工廠の跡地を歩いてみたいと思います。
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東中神の駅からみると、東側に陸軍航空廠立川支廠、北東に陸軍航空技術研究所、北側に陸軍航空工廠があったことになります。
東中神駅直近の村山街道踏切には、それら立川陸軍飛行場関連軍事施設の守衛所跡と言われるコンクリートのガードが残っています。
10年ちょっと前にこの近くに住んでいたことがあり、当時から何のためにあるのかわからないこの古びたコンクリートを見るたびに「なんだこりゃ?」と思っていましたが、よくわからないけど何気なく史跡を目にしているものですね。
(いただいたコメントによると、軍事施設とは無関係の踏切防護壁とのことです)
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村山街道踏切から都道153号線を約200メートル北上し昭和記念公園西交差点に到達すると、交差点の北東側の国有林の中に廃墟が見えます。
この廃墟は米軍将兵の住宅跡で、このような米軍住宅はキャンプ・フィンカム内にいくつも建てられていたと思われますが、残存するものはこの一棟だけとなっています。
いずれこの場所が再開発されれば、取り壊される運命でしょうね。
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米軍ハウスの北東200メートル、昭和記念公園の昭島口近くの国有林の中には、今は使われていない煙突が見られます。
この煙突は地下暖房用蒸気発生槽の煙突と言われているもので、陸軍航空工廠時代の遺構だという。
近年まで廃墟森林だった陸軍航空工廠跡地には6本のこうした煙突が残っていましたが、再開発に伴い2014年9月までに5本が解体され、残るこの1本も開発が進めば解体されるものと思われます。
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昭和記念公園西交差点から1.2キロメートルほど、再開発に伴って新設された道路を北上すると、むさしの公園という新しくできた昭島市立公園に到着しました。
昭島市立むさしの公園は陸軍航空工廠跡地の北端に当たる位置に造成された公園で、公園内には線路のモニュメントがいくつか設置されています。
この線路のモニュメントは、陸軍航空工廠があった太平洋戦争中、青梅線東中神駅から敷設されていた航空工廠への資材運搬専用の引き込み線の廃線跡のモニュメントです。
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こちらは線路の真ん中にベンチが設置され、公園の休憩施設となっている廃線跡のモニュメントその2。
資材運搬専用線は太平洋戦争中の昭和18(1943)年に敷設されたとされ、工廠線もしくは立川基地引き込み線などと呼ばれていました。
このモニュメントは公園造成の際この場所に残っていた資材運搬専用線のレールやバラスト等を再利用して構築されたもののようです。
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むさしの公園に残る廃線跡のモニュメント配置図。
赤字が資材運搬専用線の軌跡で、軌跡上にモニュメントが設置されています。
モニュメントはあくまで再構築したものですが、資材運搬専用線は実際にこの位置を通っていたようです。
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道を挟んだむさしの公園西側に残る廃線跡モニュメントその3。
本当にこれでいいのか?と疑問に思うほど何気なく残されているもので、事前にそうと言われていなければ気づきません。
こちらは舗装モニュメントとして当時の軌道上にレールを一部残したものだそうです。
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青梅線東中神駅から陸軍航空工廠へ伸びていた資材運搬専用線は途中で2路線に分岐していました。
陸軍航空工廠跡地の西端を走る富士見通りから一本西側には中神引込線通りという専用線線路跡を利用した狭い生活道路が走っています。
青梅線の線路から北へ向かって伸びる中神引込線を青梅線線路から約900メートル進んだところに、その分岐点跡の交差点があります。
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交差点の角には、廃止当時のレールと転轍機(ポイント変換機)が保存展示されています。
ここで資材運搬専用線は二手に切り替えられていました。
この資材運搬専用線は太平洋戦争の敗戦後もそのまま1.9キロメートルのアメリカ軍専用線として使用され、主に重油や航空機燃料が米軍基地に向け運ばれていたという。
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住宅地の中にひっそりと残る、車両の進行方向を切り替える転轍機。
このモニュメントもこの辺りに住んでいたころ、何度か目にしていました。
当時は「なんか線路っぽいものがある」くらいしか思いませんでしたが、まさか軍事遺跡だったとは。
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最後は、転轍機から東に約50メートルの位置、富士見通り沿いにひっそりと建立されている「陸軍航空工廠の碑」です。
10年以上前に、富士見通りはよくバイクで走っていましたが、向かい側の廃墟森林だった旧軍用地はよく覚えているものの、この石碑は一軒家の敷地内みたいな場所にあるためかあまり印象に残っていません。
全面返還から30年以上にわたって処分保留のまま廃墟森林と化していた陸軍航空工廠跡地ですが、残されていた遺構が再開発によって姿を消しつつあることに、昔の思い出が失われていくような寂しさを覚えました。
(訪問月2020年5月)