目黒区にある、松林山大円寺を歩いてきました。
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品川区にあるというのに目黒の名を冠する目黒駅。
この目黒駅を西口に出て、目黒通りに出たところで左に曲がると、目黒行人坂と呼ばれる品川区と目黒区にまたがる坂に出ます。
急な勾配になっている狭い坂で、坂を下りたところには目黒雅叙園があります。
この坂の中程には、江戸時代、明和の大火の火元になった大円寺という寺院があるというので行ってきました。
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明和の大火は明暦の大火、文化の大火とともに江戸三大大火のひとつと言われています。
出火元はここ大円寺で、放火犯は武州熊谷無宿の真秀という坊主。
明和の大火は麻布、京橋、日本橋地区を焼きつくし約1万5000人の死者をだす大惨事となりました。
火元となった大円寺は、その後約70年間、幕府から再建の許可が下りなかったそうです。
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大円寺の境内には大量の石仏があります。
ひな壇上に並べられている石仏群は石造五百羅漢像といって、前述の明和の大火、別名目黒行人坂火事の犠牲者追悼のために作られました。
よく見ると一つ一つ微妙に顔やポーズが違っているのがわかります。
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その石造五百羅漢像群の中に、赤い布を巻かれたちょっと大きな黒い石が安置されています。
これは明和の大火によって溶けてしまったかつての地蔵だそうで、品川の海に沈んでいたものを漁師が引き上げて大円寺まで持ってきたものだそうです。
昔から悩み事をとろけさせてくれるご利益のあるお地蔵様として信仰を集めているとのことです。
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大円寺、本堂。
大円寺は大黒天を祀っており、山の手七福神のひとつになっています。
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大円寺本堂脇にある薬師如来。
自分の体の悪い部分と同じ場所に、金箔を貼りつけると改善するとのこと。
もっとも金箔が貼られているのが顔と頭ですが、たしかにそこはなかなか改善しないため仏の力にすがりたくなる気持ちもわかります。
なんでもいいですが顔に金箔が貼られすぎていて顔の彫りが一部つぶれてしまっていますね。
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大円寺には明和の大火のほかにもう一つ、放火に由来するものがあります。
1683年、その前年の火事の際に出会った寺の小姓吉三に会いたい一心で、また火事になれば会えると思い自分の家に放火し火事を起こした八百屋お七。
お七は鈴ヶ森で処刑されますが、残された吉三はかつてこの大円寺の下にあった明王院の僧となり、お七の菩提を弔うため、二十七年と五ヶ月という年月をかけて、浅草観音まで約四十キロメートルの道のりを夜から明け方にかけて鉦を叩き念仏を唱え歩き、隔夜日参り一万日の行を成し遂げたという。
また、吉三は多くの江戸市民から浄財の寄進を受け、これを基に行人坂に敷石の道を造り、目黒川に石の太鼓橋を架けるなど数々の社会事業を行ったとのこと。
お七は、放火というやったことはともかく、彼女が愛した男は立派な男だったようです。
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その明王院があった場所には、今は目黒雅叙園があります。
有名な結婚式場ですが、ランチも食べられるので、大円寺を見学後にちょっと一休みされてはいかがでしょうか。
ちょっと敷居は高いですが。
(訪問月‎2014‎年‎2‎月‎)