東京都荒川区南千住にある寺院、小塚原回向院を歩いてきました。
小塚原回向院は、江戸時代の北の刑場「小塚原刑場」跡地にある寺院で、刑死者や行路死亡者を供養した寺院です。
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常盤線南千住駅から西口ロータリーに出て、線路沿いを日光街道方向に歩いていくとすぐに見つかる小塚原回迎院。
都道464号線(コツ通り)のアンダーパス直近にある近代的な建物のため、寺=古い建物という先入観を持っていると見落としがち。 
南千住駅からも見える大きな葵の紋が目印です。
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回向院の入り口には吉展地蔵尊という大きな地蔵が立っています。
これは1963年、台東区入谷で起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件の被害者、村越吉展ちゃん(当時4歳)を供養するために建立された地蔵です。
吉展ちゃん誘拐殺人事件は、犯人が誘拐後すぐに被害者を殺害していたこと、身代金を奪取したこと、その事件解決に2年3か月という月日を要したこと、日本で初めて報道協定が結ばれたことなどから戦後最大の誘拐事件とも言われています。 
吉展ちゃんが誘拐されることになった理由は、身ぎれいで身代金を取れそうだったから。
4歳まで育ててきたにもかかわらず、理不尽に子の命を奪われることになったご遺族の心中を思うと心が痛みます。
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小塚原回向院は寺院ですが、わざわざ頭に史跡と書かれているように、誰でも自由に中に入って見学できる場所になっております。
私たちが訪問した時も先客がいて、二人の中年男性が史跡を見学していました。
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奥に進むと墓地があって、その中央よりやや右側に史跡エリアと矢印のついた壁があります。
この矢印の右側にある一角が史跡のある場所であり、それ以外は個人の墓地のようです。
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史跡エリアの入り口に手を清める場所と思しき水道と水受けがあります。
なぜか水受けには小銭が撒かれています。
なんでこんなところに小銭を撒くのか。 
普通にお賽銭箱に入れてくださいよ。
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史跡エリアにはかつて小塚原刑場で刑死した、又は埋葬された者たちの墓が並べられています。
左側の通路に並んでいるのは、桜田門外の変で時の大老井伊直弼を暗殺した桜田18烈士の墓。
桜田門外の変の現場指揮官であった関鉄之助も、捕縛後小伝馬町で斬首されここ小塚原回向院に埋葬されました。
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その桜田18烈士の墓の一番奥には、その18烈士に暗殺された井伊直弼に安政の大獄で刑死にされた吉田松陰の墓があります。
吉田松陰は小塚原刑場で処刑後、この回向院の墓地に葬られることになりますが、のちに改葬され、現在ここにあるのは墓だけ。
遺骸は弟子の高杉晋作らによって現在の松陰神社(世田谷区)に眠っています。
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こちらも小塚原刑場で刑死した有名な人物たち。
左から鼠小僧次郎吉、片岡直二郎、高橋お伝、腕の喜三郎の墓。
それぞれ生きた時代は違うので、後になってまとめられたものでしょう。
鼠小僧は武家や大名など裕福なものから金を盗んだ義賊で、高橋お伝は自分の夫を毒殺し、借金の返済のために強盗殺人を犯したことで知られる明治の毒婦。
しかし実際には、鼠小僧が貧しい者たちに盗んだ金を配ったりしたようなことはなかったらしく、高橋お伝は夫を献身的に看病し、貧しいゆえに人生を他人に翻弄された薄幸の女性であったようだ。
いつの時代も人の噂というものはあてにならない。
ケンカで斬られ、取れかけてしまった片腕を「みっともない」といって子分にノコギリで切断させたという侠客「腕の喜三郎」の墓石は、そのまんま腕でありなんかかっこいい。
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その他にも、安政の大獄で刑死した橋本左内の墓や、杉田玄白や前野良沢らがこの場所で刑死者の腑分けを見学し、「ターヘルアナトミア」を翻訳し「解体新書」を出版したことを記念した「観臓記念碑」など、数多くの史跡が眠る小塚原回向院。
もう少し見学しようと思ったのですが、相方が手を蚊に刺されたというのでそそくさと寺を出ることになりました。
蚊はいなかったように思うんですが、蚊に刺されやすい方は虫よけスプレー持ってってください。

続いて荒川区南千住にある寺院、円通寺を歩いてきました。
円通寺は、戊辰戦争で新政府軍との戦いに敗れた彰義隊士の墓があることで知られる寺院です。
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小塚原回向院の北側にある南千住仲通り商店街を西に歩き、国道4号線に出たところで国道4号を北に歩くと、左側に円通寺があります。
寺と思しき青い建物の上に、タワーみたいな三角柱上の建造物に挟まれた黄金観音像が見えます。
周辺は住宅地で大きな建物はありませんが、わりと奥まった場所にあるので、注意していないと見落とす可能性もあると思います。
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円通寺境内に入り、黄金観音に近づいてみます。
真ん中の黄金観音はまあいいとして、それを囲むように建っている三角の壁と手すりはなんだろう。
最初は階段かと思いましたが、登れるような場所はない。
まるでマンションのベランダのように見えました。
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横から見るとこんな感じで、下にある本堂のベランダの手すりと同じようなものが五段、黄金観音の周りを囲むように備え付けられています。
なんかする場所なんですかね、あそこ。
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円通寺には黄金観音だけでなく、史跡も多数存在します。
こちらは円通寺本堂に向かって左手にある上野寛永寺の黒門。
戊辰戦争の緒戦のひとつ、上野戦争で焼け残った寛永寺の黒門を、そのまま円通寺に移築したもののようです。
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よく見ると黒い穴がいくつも空いている黒門。
説明書きによると、これは上野戦争の際にできた弾痕とのことです。
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黒門の裏には、その上野戦争で新政府軍と干戈を交えた彰義隊士の墓があります。
戊辰戦争の折、寛永寺に集結した彰義隊は新政府軍との上野戦争に敗れ、死体が累々と積み重なるありさまだったが、新政府軍にその遺体の回収を厳しく禁じられ、腐敗に任されるままだったという。
それを見た円通寺の仏磨和尚が、官許を得て遺体を火葬しここ円通寺に埋葬したそうです。
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彰義隊士の墓の反対側には、石積みの小山があります。
立て看板を見ると、どうにも史跡をより集めたものらしく、一番上にある石塔が七重塔。
七重塔を囲むように置かれている石碑が、小塚原の地名の由来とも言われる四十八首塚です。
この首塚は、かつて源義家が奥州を鎮定した際、討ち取った首を供養するために築いたものであるという。

都電三ノ輪橋駅近くにある寺院、円通寺。
回向院とセットで、史跡巡りに訪れてみてはいかがでしょうか。
(訪問月2014年7月)