帝都を歩く

帝都・東京。当ブログは東京住まいの管理人が、帝都東京が明治期から現在まで歩んできた道を学ぶため、帝都および周辺都市に残る戦争遺跡や歴史的建造物、地下壕・洞窟やB級スポットまでを探訪して見聞を広めるブログです。東京観光等に役立てていただけたら幸いです。

カテゴリ:伊豆諸島

今回の訪問先は八丈島八丈町三根にある閉業中のホテル、八丈オリエンタルリゾートです。現在地は八丈島で夏場にもっとも人が集まる場所、底土海水浴場前の八丈一周道路です。底土海水浴場横の底土港では、八丈島と帝都の竹芝桟橋との間を一日一往復する東海汽船の定期便が発 ...

八丈島八丈町樫立の唐滝・硫黄沼ハイキングコースを歩いてきました。現在地は八丈一周道路のバス停「富次朗商店前」から唐滝への山道を車で5分ほど進んだ、唐滝・硫黄沼ハイキングコースの駐車スペースです。富次朗商店前バス停から唐滝までのハイキングコースは約2キロメ ...

八丈島八丈町大賀郷にある由緒正しき古の道、馬路を歩いてきました。現在地は八丈島の西側、八重根漁港近くに位置する八丈町大賀郷の大里地区です。ここ大里の集落は旧家や有力家が多いところで、八丈島の伝統、六方積みと呼ばれる技法で積まれた玉石の石垣を見ることができ ...

八丈島八丈町大賀郷にある展示施設、大里ふるさと村を歩いてきました。現在地はかつて流人が玉石を運び積み上げた玉石垣が残る、大賀郷の大里地区です。ここには八丈島の昔の民家を伝統工法で修復し、移築保存して一般公開した「ふるさと村」があります。ふるさと村入り口は ...

八丈島八丈町末吉にある展望台、名古の展望台を歩いてきました。現在地は八丈島の南東にある、末吉地区の名古の展望台です。名古の展望台からは洞輪沢の湾曲した海岸美が観賞でき、右手には八丈島南端の小岩戸ヶ鼻まで見渡す事ができます。天気のいいときにはここから島の遥 ...

八丈島八丈町大賀郷にある公園、護神山公園を歩いてきました。護神山公園は八丈支庁や町役場の近くにある、鬱蒼とした木々に覆われる小高い丘に造成された公園です。この護神山公園、八丈富士の側火山で頂上には小さいながら火口があります。護神山公園入り口には大きな石鳥 ...

八丈島八丈町樫立にある戦争遺跡、直射砲台跡を歩いてきました。現在地は八丈島の坂下地区(三根、大賀郷)と坂上地区(樫立、中之郷、末吉)を繋ぐ逢坂橋上です。巨大な谷を跨ぐようにして架設された逢坂橋は、全長が1325メートルに及ぶダイナミックな橋です。この橋はかな ...

八丈島八丈町樫立にある軍用道路、防衛道路を歩いてきました。現在地は八丈一周道路、樫立の伊郷名バス停です。ここ伊郷名はかつて湯郷名と呼ばれ、温泉が湧き出ていて大きな集落があったと言われています。しかし宝永年間に起きた地震の際に温泉源が変わり、まったく温泉が ...

八丈島八丈町三根にある戦争遺跡、人間魚雷「回天」の壕を歩いてきました。現在地は、八丈島の海水浴場のうちもっとも観光客で賑わう底土海水浴場です。砂浜が少ない八丈島では、この底土海岸が比較的整備され一番安全に海水浴ができるため、多くの人が海水浴やダイビングに ...

八丈島八丈町大賀郷の八丈島歴史民俗資料館周辺を歩いてきました。太平洋戦争末期の昭和20(1945)年3月26日、日本陸軍の栗林忠道中将率いる小笠原兵団の硫黄島守備隊が、日本本土へと迫るアメリカ軍の絶え間ない攻撃によって玉砕しました。硫黄島が陥落すると、小笠原諸島と日 ...

[当施設につきましては、2018年4月1日付で閉鎖されたとのことです]八丈島八丈町大賀郷にある展示施設、八丈島歴史民俗資料館を歩いてきました。八丈島歴史民俗資料館は、宇喜多秀家の住居跡から八丈一周道路を約500メートル西へ進んだ位置にある資料館です。島内各地の民家に ...

八丈島八丈町末吉にある天然記念物、ポットホール散策路を歩いてきました。現在地は八丈島の中之郷地区にある観光名所、裏見ヶ滝です。ここは「トリック劇場版2」のロケ地でもあり、ネットや雑誌では八丈島観光でここは見なきゃだめ的な感じで紹介されている観光名所です。 ...

八丈島八丈町大賀郷にある史跡、宇喜多秀家の住宅跡と墓を歩いてきました。帝都・東京から南へ約290km離れた太平洋上に浮かぶ島、八丈島。八丈島は江戸時代において罪人の流刑地だったことで知られる島です。このため八丈島は流人の島と言われていますが、別に島人の多くが流 ...

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