かつて東京都北区赤羽にあった、東京陸軍兵器補給廠線の跡地を歩いてきました。
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東京都北区の赤羽から王子に至るまでの区間には、太平洋戦争の敗戦まで旧日本陸軍の施設が立ち並び、旧王子区(北区は戦後旧王子区と旧滝野川区が合併して成立)は軍都として栄えていました。
赤羽には陸軍の兵器、弾薬、資材の補給を行っていた東京陸軍兵器補給廠があり、その資材の運搬のために鉄道専用線も敷かれていました。
赤羽駅近くの八幡神社の入り口付近から南西に延びている赤羽緑道公園は、その専用線の跡地に造営されたものです。
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赤羽緑道公園の遊歩道です。
遊歩道にはタイルで線路が描かれています。
70年ほど昔、ここを陸軍の列車が弾薬や資材を積んで走行していたことを記念し、遊歩道上にこのような疑似線路を遺しているようです。
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赤羽緑道公園は都営桐ヶ丘団地に沿うように造営されています。
都営桐ヶ丘団地が建っている場所は、かつては日本陸軍の施設、陸軍兵器補給廠赤羽火薬庫がありました。
終戦後、陸軍兵器補給廠赤羽火薬庫の家屋を戦災者や復員者に使用させたことが、桐ヶ丘団地の始まりだと言われています。
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その桐ヶ丘団地の中心部、桐ヶ丘中央商店街。赤羽緑道公園からちょっと西に入った位置にあります。
平行して並ぶ二つの団地に、二階建ての長屋が交差するよう配置されて中庭のような四角い空間が作られ、内向きに商店が並んでいます。
団地の中でよく見かける、団地住民のための団地内商店街ですね。
ほとんどのお店がシャッター下りているようですが……
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吊り下げられた国旗とか、中央にある電気乗り物とか昭和の香り漂う中央商店街。
赤羽にまだこんな場所が残っていたとは。
今でこそ寂しい雰囲気ですが、かつて団地住まいが隆盛であったころ、この商店街をたくさんの人が行き交い、談笑し、買い物を楽しんでいたことが想像できます。
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賑わっていたであろう中央商店街の在りし日の姿を想像し、そして現在の姿を見ると、少しもの哀しい気分になってしまいました。
商店街に人通りはあまりありませんでしたが、真ん中にあった昔ながらのおもちゃ屋さんが子供たちで賑わっていたのが良かったです。
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桐ヶ丘中央商店街から赤羽緑道公園に戻り、さらに赤羽緑道公園を南下していくと、鉄橋のようなモニュメントがある場所に出ます。
そこを通り過ぎると、赤羽緑道公園の終着駅である赤羽自然観察公園に到着します。
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こちらは赤羽自然観察公園のどんぐりの森。
この赤羽自然観察公園は、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地の跡地の一部に造営された公園です。
陸上自衛隊の駐屯地であったころより前の時代には、米軍戦車訓練場があり、そしてその場所は旧日本陸軍兵器補給廠の用地を接収したものでした。
赤羽駅から歩いてくると、旧日本陸軍の用地がどれほど広大であったかがわかります。
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赤羽自然観察公園は、中央に湧き水が出ている自然保護区域がありますが、立ち入り禁止になっているため歩ける場所は公園の広さに比べて多くないです。
紅葉を見ながら歩いていると、公園西側入り口付近に北区平和の森という林を見つけました。
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北区平和の森には柿の木が植えられています。
この柿の木は、長崎に落とされた原子爆弾の爆心地からわずか900メートルの地点にあったにもかかわらず、生き残った柿の木の二世であるという。
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こちらは東側入り口付近にある古民家、旧松澤家住宅。 
1844年に浮間地区で農家として建築されたものを移築復元したもので、手前の田んぼで農業体験もできます。 

かつては日本陸軍の用地であった赤羽自然観察公園ですが、東京陸軍兵器補給廠の遺構はなく、ここが軍用地であったことを示すものは何もありません。
ただ東京23区にはあまり似つかわしくない大きな公園や巨大な団地の敷地だけが、かすかにここが軍用地であったことを感じさせるのみです。
(訪問月2014年12月)