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文京区春日にある、東京ドームシティを娘のあやちゃんと歩いてきました。
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東京メトロに乗って後楽園駅にやってきました。
写真は東京メトロ丸の内線後楽園駅の駅舎です。
駅舎の向こうには東京ドームシティアトラクションズのジェットコースターが見えます。
後楽園駅を中心とする東京ドームシティ周辺は、戦前まで日本陸軍の施設がありました。
ゆえに、こんな一等地に東京ドームシティの広大な敷地を確保できたのです。
今回はこの陸軍の遺構を調査したいと思います。
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現在地は後楽園駅の北口にある礫川公園です。
礫川公園は後楽園駅と都営三田線の春日駅に挟まれた位置にあるため、行き交う人々が多いです。
公園内も子供を遊ばせにきている家族連れや休憩している人が多く、賑やかな公園になっています。
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礫川公園内を丸の内線の線路沿いに西に歩いていきます。
礫川公園の西側には崖があり、崖の上も公園になっています。
この公園は、東の崖下側広場と西の崖上側広場の二層構造の公園です。
東側はブランコや滑り台などがある児童向け公園で、西側は大きな鉄棒などがある静かなちょっぴり大人向け公園になっています。
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西側広場に上るための階段の手前です。
左手の植え込みに注目してください。
一見なんでもない植え込みのようですが…
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植え込みの中に、微妙に人が歩ける獣道のようなスペースがあります。
行ってみましょう。
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獣道を歩いていくと、奥に古いレンガの壁のようなものが見えてきました。
緑の中から突然赤レンガが見えてくる様は異様です。
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そこには、礫川公園で憩いの時を過ごす人々から身を隠すように、口を閉じられたトンネルがひっそりと佇んでいました。
このトンネルは、1881(明治4)年から1935(昭和10)年までこの礫川公園、東京ドームシティ、小石川後楽園の区域にあった陸軍施設「旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠」の試射試験場です。
東京砲兵工廠は主に三八式歩兵銃等の小銃の製造を行っていた兵器製造工場です。
このトンネルは製造された小銃の試射試験場で、トンネルの奥に的があり、トンネルの全長は230mあったという。
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トンネル前には厳重な鉄条網と警告の看板が立っていました。
かなり強い警告文ですが、前に侵入を試みた者がいたようです。
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開口部の上には弾痕らしきものがいくつか見えます。
誤射の痕でしょうか。
東京砲兵工廠は初の国産小銃である村田銃を発明し、その後も三十式歩兵銃や三八式歩兵銃といった小銃を製造し続けました。
太平洋戦争でも主力小銃として使用された三八式歩兵銃ですが、この銃は日露戦争のころに三十式歩兵銃を改良して作られた銃で、太平洋戦争からみれば40年前の旧式銃でした。
日本軍の旧式な装備は、半自動小銃であるM1ガーラントを配備するアメリカ軍に苦戦する要因になります。
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礫川公園の西側広場に上がってみます。
トンネルとの位置関係を見るにこの下あたりに試射試験場の空洞が通っているはずですが、広場にはそれとわかるようなものはなにもありません。
地下に巨大なトンネルがあることなど知る由もなく、奥の大きな鉄棒で野球少年たちがトレーニングをしていました。
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おそらくこの広場の地下を斜めに貫通しているだろう東京砲兵工廠試射試験場。
地上のその先には、塀で囲まれた大きな施設がありました。
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こちらは、第二次世界大戦で犠牲になった16万余の東京都民の霊を祀る霊苑、「東京都戦没者霊苑」です。
ここも駅前一等地であり、敷地を通れば春日通りから後楽園駅へ通り抜けることもできますが、霊苑という場所ゆえここだけ別世界のように人がいません。
それゆえ静かな場所であるのですが、東京ドームシティ方向からでかいアナウンスがひっきりなしに響いてきていて雰囲気を台無しにしてしまっています。
東京都戦没者霊苑の戦没者遺品展示室も見学してきましたが、レポートは次回にします。
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東京都戦没者霊苑を見学した後、アナウンスに導かれるように、後楽園駅の駅舎を通過して東京ドーム前にやってきました。
今日はデイゲームがあるようで、ドームゲート前にはたくさんの人が集まっています。
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東京ドームシティは東京ドーム、東京ドームシティアトラクションズ、ラクーア、後楽園ホール、東京ドームホテルなどで構成される都市型総合エンターテイメント地区で、ここも東京砲兵工廠跡地に作られています。
過去の戦争とはまったく無関係そうに今日もプロ野球の試合で賑わう東京ドームですが、プロ野球もまた、かつての戦争からは逃れることはできませんでした。
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東京ドーム前には鎮魂の碑があります。
アジア・太平洋戦争では当時20代、30代の成人男性が次々と徴用されていました。
頑健な20代男性が多かったプロ野球選手もまた徴用され、少なくない数の人が各地で戦死しています。
右側の碑には、戦地に赴き戦病死した選手たちの名前が刻まれています。
志半ばで戦争という自分とはなんの関係もない出来事でその道を閉ざされた選手たちは、どれほど無念であっただろうか。
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続いて東京ドームシティ内を歩きます。
東京ドームシティの開発により、東京砲兵工廠の遺構はほとんどなくなってしまいました。
東京砲兵工廠は東京ドームが9個も入る大きさの敷地を有していたという。
もともとこの地は、江戸時代水戸徳川家の大名屋敷跡で、明治の初めに兵器製造工場となったようです。
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東京ドームシティアトラクションズです。
入園は無料のため、誰でも気軽に立ち寄れます。
しかしあやちゃんはまだ赤ちゃんのため、アトラクションがなんなのかまだわかっていない様子。
将来はあれに乗りたいとか言われるようになるんでしょうか。
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こちらは屋内型のキッズ施設「アソボーノ」。
対象年齢が6ヶ月からで、こちらは赤ちゃんにも楽しいかもしれません。
今回は時間がそんなにないのでスルーしますが。
また今度ね、あやちゃん。
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東京ドームホテルの裏側までやってくると、唐突に古ぼけた分厚い赤レンガのブロックが展示されています。
これは陸軍東京砲兵工廠の土台であった基礎レンガです。
1937年の後楽園スタジアム建設の際は、あまりの強固さに取り出すことができなかったのだという。
2000年の東京ドームホテル建設の際に、地下5mの位置からやっと取り出すことができました。
まるで埋没した親知らずのようですね。
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東京ドームシティのエンターテイメントを楽しみに来た人たちが、この史跡の前で足を止めることはありません。
しかし東京ドームシティがあるこの場所は、日清戦争から太平洋戦争までの日本の近代戦争の歴史とともに歩んできた場所でした。
東京砲兵工廠で製造された小銃が戦地に送られ、1937年に落成した後楽園スタジアムで活躍する予定だった選手たちもまた、徴用されて戦地に赴いたのです。
今は楽しく賑やかな東京ドームシティですが、その影には暗い歴史があったことも忘れてはならないことだと思います。
(訪問月2015年4月)