文京区春日にある、東京都戦没者霊苑を訪問してきました。
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東京都戦没者霊苑は、第二次世界大戦中の16万余にのぼる東京都の戦没者の慰霊のため、昭和35年6月に建立された霊苑です。
霊苑は東京メトロ丸の内線の後楽園駅北口にある礫川公園の西に隣接しています。
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東京都戦没者霊苑は、小石川陸軍工科学校跡地に建てられています。
写真はこの場所が小石川陸軍工科学校の跡地であることを示す諸工伝習所跡記念碑。
東京都戦没者霊苑の南東端の植え込みに隠れるように、ひっそりと建っています。
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後楽園駅と都営三田線春日駅に挟まれた礫川公園は、人通りも多くとても賑やかな場所なのですが、東京都戦没者霊苑内は訪問者も少なく、とても静かな場所です。
文京区の駅前一等地だということをつい忘れてしまいそうなくらいです。
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霊苑内には太平洋戦争における地域別戦没者数一覧図が設置されていました。
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各線線で少なくない犠牲者が出ていますが、特に多いのが中国大陸とフィリピン。
太平洋戦争に突入する前から戦っていた中国大陸を除けば、短い間に518000人の犠牲をだしたフィリピンが突出しています。
戦争末期、南方の資源地帯と本土の中間にあるフィリピンを失うことは敗戦を意味していたため、軍はアメリカ軍が攻め寄せるフィリピンに学徒兵を含む多数の兵を派遣しました。
しかしレイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅したため補給が途絶えてしまい、取り残された兵士達は飢餓地獄に苦しみ、終戦まで続いたフィリピンの戦いは多数の犠牲者をだす結果になってしまいます。
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霊苑内には訪問者のための休憩棟も建てられています。
休憩棟にはトイレや事務所だけでなく、遺族が意見交換などを行う会議室もあります。
二階には第二次世界大戦の犠牲者の遺品展示室もあります。
展示室の入室料は無料になっていて、誰でも見学できます。
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二階展示室の入り口、出征時に兵士たちが持参していたものの遺品コーナー。
寄せ書きがされた日章旗や千人針などが展示されています。
昔、私がまだ戦争についてよく知らなかったころ、千人針とは腹巻きに千本針が入っているものだと勘違いしていました。
上体を起こしたりするときに針が刺さって痛くないのかとか心配した思い出があります。
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続いて従軍中の遺品コーナー。
従軍中に着用していた軍服や軍刀、装備品等が展示されています。
太平洋戦争では、戦線が拡大しすぎていて補給線が伸びきっていたため、従軍中の兵士たちは装備品の調達や整備にも苦労したという。
生きるか死ぬかの瀬戸際の時に、不良品の装備のせいで命を失うことになるとか死んでも死にきれませんね。
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こちらは展示室の折り返し地点にある遺書のコーナー。
いつ死ぬかもわからぬ戦地では、それこそ何通も遺書が書かれたことだろう。
遺書を書き、生きて戻ってきて、また遺書を書く…戦場の兵士たちは、どれほどの葛藤の中に生きていたのでしょうか。
中には、遺書を書くことで残された家族がいつまでも自分のことを思い出し悲しんでしまうからと、遺書を書かなかった人もいたようです。
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戦後、長い時を経て戦地から回収された遺品コーナー。
硫黄島のような生還者のほとんどいない孤立した戦場で、戦後すぐアメリカ軍の管理下にはいってしまったような場所では遺品の回収すらままならなかった。
硫黄島は東京都北区とほぼ同じ面積の小さな孤島で、現在は自衛隊の飛行場があり、民間人の立ち入りは原則禁止ですが遺族による遺骨・遺品の発掘は徐々に行われているという。
硫黄島の飛行場はアメリカ軍が作ったものですが、滑走路の下には今も硫黄島の戦いで戦没した日本人の遺骨が眠っています。
そこに降り立つ遺族の哀しみはどれほどのものなのか想像もつきません。
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休憩棟の二階展示室を見学したあと、再び霊苑に戻りました。
広いスペースが取られている霊苑の隅っこには、鎮魂の碑があります。
鎮魂の二文字には、戦没者の安らかな眠りと、恒久平和への祈りが込められ、鎮魂の碑の真下には山本健吉作の碑文も添えられています。
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今日は近くの東京ドームでイベントがあるのだろうか、周辺の静音を脅かすような大きなアナウンスの声が霊苑内に響きわたっている。
ドーム方面には多数の人が集まっているだろうなと思いながら、誰もいない霊苑の中をぶらぶらと歩きました。
悲しい過去など忘れ去ったかのように賑やかな後楽園駅前ですが、70年前の第二次世界大戦で東京都民に16万人以上の犠牲者が出て、その犠牲の上に今日の平和な東京があるということを忘れてはならないと思います。
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東京都戦没者霊苑から礫川公園に戻ると、公園の路面には散った桜の花びらがたくさん路面に敷きつめられていることに気づきました。
路面に落ちた花びらは、まるで戦争で散っていった無数の魂のようです。
その上を今、現代に生きる私たちは歩いているのです。
(訪問月2015年4月)