茨城県笠間市旭町にある、筑波海軍航空隊跡地を訪問してきました。
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筑波海軍航空隊は、太平洋戦争のころ戦闘機搭乗員の養成所として、茨城県笠間市におかれた日本海軍の航空隊基地です。
戦後解隊された筑波海軍航空隊の跡地には、現在、茨城県立こころの医療センターという病院が建っています。
この病院の敷地内には筑波海軍航空隊の庁舎が現存しており、小説「永遠の0」劇場版のロケ地になった記念として、その庁舎が記念館として期間限定で公開されているというので行ってきました。
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そんなわけで、娘のあやちゃんとともに常磐線に乗って、茨城県笠間市の友部駅にやってきました。
訪問した日はゴールデンウイークであり、笠間市ではつつじ祭りをやっていたようで多数の観光客が駅北口に降りていきましたが、筑波海軍航空隊があるのは南口方向です。
南口は北口と比べ淋しく、降りたのは我ら親子と、お母さんと子供らしき二人の家族連れだけでした。
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ちなみに友部駅の屋根には鳩が住み着いているらしく、さすが航空隊の町というべきか平時でも空爆があるようです。
空襲警報は発令されないので注意願いたいです。
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筑波海軍航空隊記念館まで、友部駅南口からこの県道281号線をほぼ真っ直ぐの道のりです。
駅からバス(本数少ないですが)もでていますが、気合いを入れて歩けば徒歩15分の距離でたいしたことはありません。
しかし駅から目的地まで歩いている人はほぼいませんでした。
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ふと足下をみると、歩道の側溝の蓋に「茨」の文字が刻印されています。
Rマークみたいなもんでしょうか。
茨城県の登録商標石?
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驚いたことに、その刻印はひとつでなく、歩道の側溝の蓋のほぼすべてについていました。
茨茨茨茨茨茨茨茨茨茨茨茨茨…
ここが茨城県であることを猛アピールです。
さすが茨城県、レベルが高いですね。
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筑波海軍航空隊に向かって歩道を歩いていくと、後ろから二人乗りで自転車に乗った中学生くらいの少年集団が追い越していきました。
「ぶーんぶんぶんぶんぶん!」
などと集団で喚いているので何事かと思いましたが、どうやら暴走族の空ぶかしの真似事をしているようでした。
帝都では暴走族など、真似事でもやるのは照れてしまいますが、追い越され際に少年にドヤ顔されたので茨城県では誇らしい行為のようです。
気持ちいいホルホル顔を見せてくれた後、少年たちは爆走しながらケーオーデーツーに勇ましく入っていきました。
レベルが高すぎてついていけません。
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友部駅から約2kmほど歩くと、やがてこのこころの医療センター西交差点に到達します。
この交差点を左に曲がっていきます。
駅から目的地まで、曲がるのはこの交差点だけなので特に迷うことはありません。
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見えてきました、茨城県立こころの医療センターの正門です。
筑波海軍航空隊記念館は、こころの医療センター敷地内にあるのでこの正門を入っていきます。
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こころの医療センター正門の近くには、もうひとつ、封鎖された門があります。
この門は、かつての筑波海軍航空隊の隊門であったそうです。
ただし、隊門には「友部病院」と書かれています。
筑波海軍航空隊は戦後、友部病院がその用地を使用することになりました。
その友部病院が、今の茨城県立こころの医療センターです。
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正門から広々とした道を歩いていきます。
右手の空き地が筑波海軍航空隊記念館来訪者用の駐車場になっています。
記念館はもっと奥の左手、にょきっと貯水槽が顔を出しているあたりです。
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やがて庁舎が見えてきました。
こちらが旧筑波海軍航空隊の司令部庁舎です。
この司令部庁舎は、戦後、航空隊の用地に建てられた茨城県立友部病院の管理棟にそのまま転用されており、当時の姿を残しています。
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友部病院は老朽化によって廃院となり、同敷地内に新病棟が建てられ、名称もこころの医療センターとして変わり一新されました。
その際、旧友部病院の廃墟とともに旧司令部庁舎も解体される予定でしたが、司令部庁舎が「永遠の0」のロケ地になったこともあり、期間限定で筑波海軍航空隊の記念館として公開されています。
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筑波海軍航空隊記念館の裏には、旧友部病院の廃墟がいまだたくさん残っています。
記念館やこころの医療センターが近くにあるため侵入はできないでしょうが、廃墟マニアが喜びそうですね。
もっとも建物はまだきれいなもので、廃墟廃墟はしていませんが。
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旧友部病院の廃墟には入れませんが、廃病棟群の間を通る渡り廊下は通れます。
この先には、筑波海軍航空隊の戦没者を供養するための供養塔があり、そこを訪問するための通り道になっているからです。
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渡り廊下は右も左も、病棟の廃墟と繋がっています。
病棟の廃墟など本来は気味が悪いと思うところですが、この病院は大きな敷地に、ある程度の距離を保って病棟が建てられており、日光が中庭と病棟に差し込んで全体的に明るい雰囲気を醸し出しています。
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特に中庭は日あたりがよいためか、雑草が生え放題になっています。
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中庭にはもう人も来ないためか、雉がのんびりしていました。
おおー、雉だ。
病院の中で雉が見れるなんて、貴重な体験です。
ふと雉鍋が食べたくなりました。
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廃墟の間を通る渡り廊下を抜け、旧友部病院の裏手にやってきました。
ここをクランク状に曲がっていきます。
供養塔までは、所々に矢印板があるため特に迷うことはありません。
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筑波海軍航空隊の供養塔です。
塔とかいわれると大きいものを想像してしまいますが、この供養塔は墓石のように小さなものでした。
この供養塔は昭和13年、筑波海軍航空隊で司令官を務めた古賀貴季中佐の指示で、訓練中に事故死した隊員のために建てられた供養塔です。
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供養塔のほか、往時を知らせるものとして司令部庁舎の前に号令台も残っています。
号令台とは、小隊教練などの各種訓練を行う際に、指揮官が号令をかける台座です。
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この号令台を前に、多くの若者が教練や集会などを行ったという。
当時、桜の咲く季節には、号令台周辺は見事な景観だったそうです。
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号令台の横に残る階段。
崩壊具合が歴史を感じさせてくれます。
この階段を指揮官が登って、台上から号令を発したのですね。
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号令台は裏側から内部に入れる構造になっています。
中には何があったのでしょうか。
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とまあ、まずは記念館までの道のりと司令部庁舎周辺の史跡を紹介させていただきました。
次回は筑波海軍航空隊記念館に入館し、レポートしたいと思います。
(訪問月2015年5月)