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前回からの続きです。
引き続き茨城県笠間市旭町にある、筑波海軍航空隊記念館を見学してきました。
筑波海軍航空隊記念館は、旧筑波海軍航空隊司令部庁舎に、航空隊の写真や遺品等を展示した資料館です。
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筑波海軍航空隊記念館の入館料は500円。
近くにある地下戦闘指揮所への入壕料とのセットだと800円でした。
混雑してたわけではありませんが、この手の施設にしてはそれなりにお客さんが多かったです。
映画「永遠の0」のロケ地効果でしょうか。
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中央玄関横の受付を通って中に入ると、左手には航空機の骨組みがあり、その先は立ち入り禁止になっています。
この骨組みは日本海軍初の制式量産練習機「アブロ504陸上練習機」。
第一次世界大戦中にヨーロッパ戦線で戦闘機として使用されていたもので、日本軍はそれをライセンス生産して練習機としていたようです。
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右手の廊下が見学順路になっています。
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三八式歩兵銃が展示されていました。
銃剣付きだとものすごく長く見えますね。
太平洋戦争中における日本軍の主力小銃です。
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破壊された零戦21型の胴体後部と、三人の飛行兵。
この零戦はニューギニア戦線で連合国軍により回収されたものらしく、ラバウル航空隊のものではないかとされています。
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尾翼には「JAP ZERO TAIL」と書かれています。
零戦21型は長大な航続距離と優れた格闘性能により連合国軍に恐れられたが、その性能故にラバウル航空隊は遠く離れた激戦地ガダルカナル島への長時間飛行を軍部に強いられ、結果ガダルカナルを巡る戦いは貴重な優秀なパイロットを多数失うことになりました。
パイロットに負担のかかる作戦を行わせる能力と、防弾設備がまったくない脆弱性を併せ持つ零戦21型。
パイロットの命よりも攻撃という設計思想の基に太平洋戦争開戦前に作られた零戦21型ですが、後の特攻作戦にも多大な影響を与えたと言えるでしょう。
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「飛行機乗りは死ななきゃ本土に帰れない」
と言われるほど日本軍の航空機搭乗員の生存率は低かったという。
太平洋戦争が始まると、筑波海軍航空隊の昭和16年10月から昭和17年3月までに卒業した甲飛六期(甲種飛行予科練習生)隊員52名は南方戦線に出撃しましたが、終戦までに46名が戦死しました。
太平洋戦争の主力であった航空機の搭乗員不足は、そのまま戦争後期における一方的な敗戦に繋がっていきます。
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順路に沿って二階に上がります。
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艦船の模型がたくさん並べられた部屋。
戦艦「大和」「武蔵」、航空母艦「赤城」など、旧日本海軍を代表する艦船の模型が並んでいます。
ちなみに奥にあるエセ旭日旗のようなのは「先任旗」(左)と「代将旗」(右)。
先任旗は、艦隊が港に停泊していて艦隊司令官が不在の時、司令官に次ぐ立場の先任の艦長が乗艦する艦船が掲揚する旗で、代将旗は通常艦隊は将官級の司令官が指揮するが、司令官不在の時に左官級の艦長が代わって指揮するときに掲揚されるものだという。
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ショーケースの中にも色々な軍艦の模型が展示されています。
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こちらは戦艦「長門」。
「大和」や「武蔵」ができるまでの、太平洋戦争開戦時の連合艦隊の旗艦です。
終戦まで唯一の稼働可能な状態の戦艦として生き残った長門ですが、戦後ビキニ環礁で行われた原爆実験の標的になり沈没しました。
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長門の横には「艦これ」のパッケージが…
箱はあれですが中身は普通のプラモデルです。
これを買って組み立てたやつなのか。
しかし、何故アピールするみたいにわざわざ箱を横に置く必要があるんだろう。
中身のプラモデル本体だけで、別に箱はいらなくね?
こういった真面目な記念館にも「艦これ」の侵略が始まっているのか…
などと危惧していたら、あとで立ち寄った一階の売店は「艦これ」とコラボしまくっていました。
まあ、それで記念館が盛り上がるなら仕方ないのかもしれませんが。
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筑波海軍航空隊記念館の展示物は海軍のものだけではありません。
こちらは南京、上海など中国戦線の写真の展示コーナー。
中国戦線の写真とは珍しい。
こういった展示施設では、中国戦線の展示コーナーは少ない気がします。
日本では中国大陸における戦いってマイナーですよね。
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こちらは特攻に出撃する兵士が、最期に別れの杯を酌み交わす「特攻盃」。
筑波海軍航空隊でも、沖縄戦時「筑波隊」として特別攻撃隊が組織され、攻め寄せるアメリカ艦隊への特攻作戦「菊水作戦」に従事しました。
この記念館が公開されるきっかけとなった「永遠の0」の主人公、宮部久蔵も最期は神風特別攻撃隊員として敵艦に突入して戦死します。
特攻隊員は学徒出陣により兵隊となった者など、その多くが高学歴の人間で構成されていました。
特攻を志願させるにあたり、そのプライドを巧みに利用されたのだと言われています。
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宮部久蔵と共通点の多い、早稲田大学出身の富安俊助中尉。
筑波海軍航空隊で教官をしたのち、沖縄における菊水七号作戦に参加しました。
神風特別攻撃隊 筑波隊として、沖縄に攻め寄せるアメリカ艦隊に特攻し、26機いた日本機は富安中尉機を除いて特攻前にすべて落とされましたが、富安中尉は太平洋戦争全期間を通して日本軍を苦しめ続けたアメリカ海軍の武勲艦、正規空母エンタープライズに突入し、大破炎上させました。
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こちらは同じく筑波隊として沖縄に特攻死した藤田暢明少尉と、その配偶者睦重夫人。
藤田少尉は特攻の3日前に、睦重夫人と結婚しました。
娘が未亡人になることが明白だった睦重夫人の両親は二人の結婚に反対したが、二人の愛は固く、ついに両親も許可をしたという。
藤田少尉の戦死後、睦重夫人は藤田少尉の遺影と結婚式を行いました。
睦重夫人はその後、生涯独身をつらぬいたのだという。
とても胸を突くエピソードです。
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続いて日本海軍の太平洋戦争開戦時の主力であった巡洋戦艦「金剛」、航空母艦「赤城」「翔鶴」に乗り継ぎ太平洋戦争を戦い続けた海軍軍人が撮った写真のパネル展。
いずれも有名な太平洋戦争中の武勲艦です。
特に「金剛」は当時30年前の旧式戦艦ながら、日本海軍の戦艦でもっとも武勲をあげたといわれている。
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部屋の中央にある「金剛のカップ」。
「軍艦 金剛」と刻印されたリキュールカップが金剛の沈没後70年を経て、搭乗員の遺族により発見されたという。
「金剛」の砲撃手が、射撃競技で優秀な成績をおさめた際に艦内でプレゼントされたものだそうです。
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ちなみにWikipediaで見る金剛はこんな感じです。
記念館側も「艦これ」による訪問客増加を意識してか、公式ホームページに「艦これ」ネタを盛り込んでいる。
「金剛」は金剛型戦艦四艦の中でも、イギリスで造られた一番艦のため、艦これでは帰国子女扱いで語尾に「デース!」とつけます。
記念館の存続のためには、コラボレーションも必要なことかもしれませんね。
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気を取り直して次に行きましょう。
こちらは旧司令官室です。
さすがに一際大きく豪華な部屋です。
バルコニー付きで、奥の大きな扉は書棚になっています。
この部屋は「永遠の0」のロケで使われた場所で、筑波海軍航空隊の教官だった宮部久蔵が、訓練中に事故死した訓練生へ暴言を吐いた上官に反論したために、上官から殴られた場所です。
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司令官室に隣接する副官室。
ここもロケ地で、訓練生たちが宮部久蔵への陰口を叩いているところを、後に宮部を助けることになる大石が聞いているシーンが撮影されたとのことです。
ちなみに私は「永遠の0」は小説版を読んだだけなので実際の場面はわかりませんが。
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こちら「永遠の0」の再現ロケセットの部屋です。
実際にこういう部屋があったわけではないらしい。
海軍病院の設定で、宮部を敵機から庇い負傷した大石を宮部が見舞い、外套を渡すシーンが撮影されました。
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なかなか無茶なことを言いますな。
これもわざわざ作って撮影したんでしょうか。芸が細かい。
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部屋の奥に行くと、看護婦さんがいます。
公式ホームページによると、スタッフD(固定式)という名前らしいです。
以前は次回紹介する地下戦闘指揮所に配置されていたとか…
地下の暗闇でこんなの会ったらびっくりです。
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鼻の頭の塗装の剥げが気になる…
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中央の大階段を下りて記念館の見学順路は終わりです。
ちなみにこの階段もロケ地で、上官に顔を殴られた宮部が頬をおさえながら上がってくるシーンが撮影されました。
殴られた場所が二階(旧司令官室)なのに、階段を上がっていくとはちょっとくすりとしてしまいますね。
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「永遠の0」のおかげで、期間限定で公開されることになった筑波海軍航空隊司令部庁舎。
今のところ公開は2016年3月までとのことです。
延長の可能性もありますが、いつまで公開されるかわからないので見学してみたい方は早めの訪問をおすすめします。
次回は記念館と一緒に公開されている、筑波海軍航空隊の地下戦闘指揮所を訪問します。
(訪問月2015年5月)