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荒川区にある国指定重要文化財、旧三河島汚水処分場喞筒場施設を訪問してきました。
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旧三河島汚水処分場ポンプ場施設は、隅田川の中流に位置する旧下水処理場施設です。
その運転が開始されたのは大正11(1922)年3月で、平成11(1999)年3月に稼働を停止するまで77年間、昔のままの姿で稼働し続けました。
稼働を停止した後、日本で最初の近代下水処理場としての歴史的価値が評価され、平成19年12月4日に国の重要文化財に指定されています。
この旧三河島汚水処分場ポンプ場施設を見学するには、あらかじめ電話予約が必要です。
火・金・年末年始以外の日なら見学可能と、見学が平日限定な首都圏外郭放水路に比べて敷居は高くない。
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電話で予約した見学時間にやってくると、まずは会議室に案内されて旧三河島汚水処分場ポンプ場施設についてのビデオを見ます。
ビデオを見終わると、東京都下水道局の職員さんに案内されてポンプ場施設内を回ります。
私たち家族が見学したときは私たち以外に見学者がいなかったので、見学時間は一時間ちょっとでしたが、人が多いときは一時間半くらい見学時間がかかるとのこと。
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見学はまず入り口正門横にある守衛室から。
この守衛室は大正14年の歴史ある建造物です。
外壁の上塗りこそ新しいものだそうですが、鉄筋コンクリート平屋建ての建物は当時の姿のままです。
庇の下に出勤簿があり、毎朝出勤してきた職員はここで押印し、外来者はここで記帳をしていたという。
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続いて構内を歩いていきます。
この道路の真下には、各地の下水道、幹線汚水管から集まってきた汚水が流れていく二系統の下水道暗渠があるという。
各地から集まってきた汚水が、正面奥に見える汚水処分場へと流れていきます。
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こちらは東西に分かれている、阻水扉室という建物。
この建物の下に、二つの下水道暗渠が通っており、阻水扉室の真下には下水の流れを一時的に止めるためのシャッターがあります。
この阻水扉室で下水道シャッターの上げ下げの操作をし、下水の流れを調節するとのこと。
シャッターで下水の流れを止めたり緩めさせるのは、メンテナンスやこの先の沈砂池にて下水をゆっくり流すためです。
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阻水扉室から階段を下っていきます。
両脇にあるレンガ壁が阻水扉室で、前方に二つある窪みが沈砂池です。
この階段も大正時代からのもので、一段一段が現在に比べ高くなっています。
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下に見える大きな二つの溝が沈砂池で、上側の建物が濾格室上屋です。
この東西の沈砂池にて、シャッターによって量を調節された汚水をゆっくり流し、汚水中の土砂を沈殿させて取り除きます。
なお沈砂池からの土砂の取り除きは、手作業であったという。
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沈砂池の手前側には、汚水が流入してくる下水道の出口、流入暗渠が見えます。
この流入暗渠は底板の上にレンガが敷かれており、汚水による摩耗に耐えられる代物になっています。
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沈砂池の奥側には濾格機があります。
濾格機とは、汚水中のゴミを取り除く鉄製の格子「スクリーン」とゴミを連続してかき揚げる「レーキ」が組み合わさった機械設備です。
水に沈まない、浮いている大きなゴミをこの機械によって取り除きます。
この濾格機を、上にある濾格室上屋で制御しています。
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濾格室上屋の後ろの地中にはヴェンチュリー管が設置されています。
ヴェンチュリー管とは、途中で艦を狭く絞ることで、水の流量を測るための管です。
流量を測るのは、流れてくる下水の量に応じて、ポンプや後の水処理施設の散水機の運転台数を変えるためです。
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ここから一旦地下に潜ります。
ヴェンチュリー管によって流量を測られた汚水は、この喞筒井導水渠を通って喞筒井へと流れていきます。
喞筒井とは、下水をポンプでくみ上げるための吸込管を配置した桝のことです。
この喞筒井導水渠で、二系統の下水が合流してひとつになり、喞筒井へ繋がる喞筒井接続暗渠へと入っていきます。
この喞筒井導水渠も、底板が摩耗に耐えられるようコーティングされています。
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続いて喞筒井接続暗渠。
喞筒井接続暗渠は漢字の「天」のような形の通路になっており、大きく四つに区切られた喞筒井へと繋がっています。
喞筒井導水渠で一つになった汚水が、喞筒井接続暗渠で再び四つ(但し、ヴェンチュリー管での測定によって、あるいはメンテナンスによってシャッターが下りるため、数は変わる)に分けられます。
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喞筒井接続暗渠を通った汚水は下水道の終端、喞筒井へと流れ込みます。
写真は喞筒井にある吸込管です。
これは10号喞筒井の吸込管で、昭和8(1933)年から10台目のポンプ用として使用されたものです。
この吸込管によって、下水がこの暗渠から真上にある喞筒室へと吸い上げられていきます。
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地上に戻りました。
こちらは喞筒井の真上にある喞筒室です。
規則的に並んだ柱と張り出しの少ない軒が特徴的で、外観が垂直かつ水平な建物になっています。
当時国内で流行していたというセセッション様式の建築物で、以前訪問した富岡製糸場を彷彿させる建物です。
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但し富岡製糸場は木骨レンガ造りですが、喞筒室は鉄筋コンクリート造りで、上にレンガタイルを貼りつけたものになっています。
写真中央にあるのはレンガタイルの破片。
富岡製糸場と三河島の喞筒室、両者は同じように見えても実は違った構造になっています。
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喞筒室に入ります。
地下の喞筒井から水を汲み上げるための喞筒が10台並んでいます。
内部も富岡製糸場の繰糸場と似た構造です。
注目すべきは、天井のトラス構造の鉄骨。
トラス構造は富岡製糸場にも見られた鉄骨ですが、一番下の鉄骨が湾曲しているのが見えます。
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これは鉄骨の下に見える移動式の作業台で作業する際に、その作業の邪魔にならないようにするための措置だったらしい。
ちなみに移動式作業台は大正9年製で、製造は東京石川島造船所。
大正時代など遠い昔のような気がしますが、こうしたものを見るとそれほど昔のことではないのだという実感があります。
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喞筒室の右端は展示室になっています。
旧三河島汚水処分場喞筒場施設のジオラマや昔の写真、ポスターなどが展示されています。
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昭和6(1931)年に作成されたポスター。
昭和6年といえば満州事変が勃発した年であり、そんな時代からこのような下水道が造られていたとは…
大日本帝国の技術力を改めて実感させられます。
戦争に敗れたとはいえ、こうした技術力はそのまま残っていたので、今の日本の繁栄はあるのでしょう。
決して一からやり直したわけじゃありません。
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戦争に敗れた2年後、昭和22(1947)年に米軍によって空撮された写真。
説明はありませんが、黒い部分は空襲でやられた跡と思料されます。
幸いにして旧三河島汚水処分場は一部が焼けた程度で、被害はほとんどなかったそうです。
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大正・昭和初期の日本の技術力が垣間見える旧三河島汚水処分場喞筒場施設。
日本初の近代下水処理場として、歴史的価値は極めて高いです。
レンガタイル貼りの施設も美しく、一見の価値ありです。
外見的に壮大な首都圏外郭放水路に対し、こちらは歴史の重みが感じられる施設です。
下水の処理状況もよく学ぶことができるので、見学されてみてはいかがでしょうか。
(訪問月2015年9月)