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台東区上野公園にある、恩賜上野動物園を娘とともに訪問してきました。
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山手線の内側にある唯一の動物園、上野動物園。
平日に訪問したのですが、その地理的要因もあって客はすこぶる多いです。
家族連れだけでなく外国人観光客や修学旅行生など、様々な層の客が来ています。
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上野動物園といえばジャイアントパンダ。
平日のためこの日は使われていませんでしたが、パンダ舎前には見学のための長い整列線が敷かれています。
上野動物園の人気者ですね。
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パンダ舎の先には象の森という象の放し飼い広場があります。
一頭の象が寝転んでいますが、これは象の砂浴びで、周囲は砂ぼこりがすごいです。
ちなみに象の砂浴びは、直射日光や虫から皮膚を守るため、そして皮膚の潤いを保つためのものらしいです。
ここもパンダ舎と同じく上野動物園の人気スポットのためか、見物人がとても多い。
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対照的に、その象の森のすぐ隣に、ほとんど人がいない一角があります。
奥に大きな碑があり、その手前に無数の千羽鶴が掲げられています。
一見して、なにかの慰霊碑であることがわかります。
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慰霊碑には「動物よ安らかに」と書かれています。
この慰霊碑は、上野動物園で様々な理由により命を落とした動物たちの慰霊碑です。
もともと昭和6年に慰霊碑が建立されていましたが、現在のものは昭和50年の園内改修時に新たに建立されたものです。
この碑は「戦時猛獣処分」と呼ばれる、昭和18(1943)年の太平洋戦争の只中に上野動物園であった猛獣殺処分の犠牲となった動物の慰霊も兼ねています。
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昭和18年、太平洋戦争も中盤になり日本軍が劣勢になってきた頃、上野動物園では行政機関からの命令によって猛獣の殺処分がありました。
処分は主に硝酸ストリキオーネによる薬殺処分で、象、ライオン、虎、熊、豹、毒蛇など逃走した場合危険な動物14種27頭が殺害されたと言われています。
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この殺処分は一般的には空襲による施設破壊・逃亡による都民への被害を防ぐためにと行われたと認識されています。
しかし、実際に日本本土空襲が本格化するのは昭和19(1944)年のサイパン島陥落以降のことで、この殺処分が行われたのはその1年前のこと。
まだ可能性はあったとはいえ、まだ本土に戦争の危機は迫っていませんでした。
そのためこの殺処分は、有事の際の危険防止のためというより、国民の危機意識、戦争意識を高めるために行われたのではないかとも言われています。
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この上野動物園の戦時猛獣処分を扱った創作作品の中で有名なものが、土家由岐雄著作の「かわいそうなぞう」です。
猛獣処分の対象であったが、毒入り餌に気づいて食べなかったため、絶食処分になり最終的に餓死したジョン、ワンリー、トンキーの三象と飼育職員の物語です。
突然、理由もわからずに餌をもらえなくなり、ふらふらになりながらも餌をもらうために必死に飼育員の前で芸をする象がとても涙を誘う物語で、私も小学生の頃この漫画を読んで泣いた記憶があります。
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しかし、この作品は実話をもとに構成されていますが、事実と違っている部分があります。
それは殺処分が「軍の命令によって」行われているということ。
実際には上野動物園をはじめとする全国各地で行われた戦時猛獣処分は、行政機関の命令や警防団、猟友会などの要請を踏まえた動物園自身の判断によって行われていました。
それが「軍の命令」に置き換えられたのは、戦後、すべての責任を軍に押し付け、責任を回避しようとする風潮があったからだと言われています。
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ちなみに、動物慰霊碑のさらに奥には、戦国時代から江戸初期の大名、藤堂高虎をはじめとする伊勢津藩藤堂家の墓所があります。
藤堂高虎は『主君を何度も変えた』武将として何かと悪役で描かれ、その子孫藤堂家の伊勢津藩は幕末に弱体化した徳川幕府を裏切った藩です。
陸軍も敗戦した瞬間、国民から様々な責任を押し付けられ、守ってきたはずの国民に『裏切られた』感があったかもしれませんね。
(訪問月2015年10月)