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今回の訪問先は、港区の新橋駅近くにある旧新橋停車場です。
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東京メトロ銀座線新橋駅の二番出口から徒歩3、4分の位置。
現代的な高層オフィスビルが立ち並び、鬱々とした表情のビジネスマンが颯爽と行き交う昭和通り上に、唐突に近代洋風建築の建物が現れます。
この建物は「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」という展示施設です。
日本における鉄道の歴史を、パネルや展示物等を使い無料で紹介しています。
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展示場となっているこの建物は1872年(明治5年)10月14日、日本初の鉄道が新橋〜横浜間で敷かれた際に、鉄道路線の起点となった「新橋停車場」の駅舎「旧新橋駅」の外観を再現したものです。
明治・大正時代の新橋駅は、現在のJR新橋駅とは違う場所にあり、今の新橋駅は2代目の新橋駅で、初代新橋駅は汐留地区のこの場所にありました。
1914年(大正3年)、東京駅が完成し鉄道のターミナルが東京駅に移ったことに伴い、初代新橋駅はターミナル駅としての役目を終え貨物専用駅となり、名前も汐留駅という名に改称することとなります。
なおこの汐留駅も、現在のゆりかもめの汐留駅とはまったくの別物です。
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貨物専用線として残った汐留駅ですが、1923年の関東大震災の際、火災によって駅舎が焼失してしまい、残存していたプラットホーム等も1934年(昭和9年)から始まった汐留駅改良工事のため解体されてしまいます。
その後、新たに建て直された貨物専用線汐留駅は長く貨物輸送の拠点として稼働していましたが、1986年(昭和61年)に貨物輸送の衰退から廃止。
そして1991年(平成3年)、貨物専用線汐留駅跡地の再開発工事に伴う調査によって、1934年の汐留駅改良工事の際に解体され地中に埋没していた旧新橋駅(旧汐留駅)の遺構が発掘されました。
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復元の駅舎の正面階段前には下向きの見学窓が設置されており、埋め戻された旧新橋停車場駅舎正面階段の遺構を見ることができます。
1996年(平成8年12月10日)、調査によって発掘された駅舎とプラットホームの一部の遺構が史跡「旧新橋停車場跡」として国の指定を受けました。
これに伴い、発掘されたこの遺構を再度元の場所に埋め戻すとともに、遺構の真上に当時の状況を知らせるために、旧新橋停車場の駅舎とプラットホームが復元されることとなったのです。
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駅舎の内部は鉄道歴史の展示室になっており、1階が常設展示室、2階が企画展示室になっています。
この日の企画展示は「駅弁むかし物語-お弁当にお茶」でした。
発掘された駅弁やお茶の容器の陶器が並んでいます。
昔の駅弁の容器は豪華だったんだなとわかる展示物ですが、昔はその容器を汽車の窓からぶん投げる風潮があったという。
夏目漱石の小説「三四郎」の主人公も、空になった駅弁の容器を列車からぶん投げています。
まー、粋といえば粋なのかもしれませんがね。
現代では犯罪になると思われますので止めときましょう。
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一階展示室の一部の床は、素通しのガラス張りになっています。
その下には、旧新橋停車場駅舎の基礎石が並んでいて、旧新橋駅の遺構を見学することができます。
また2階展示室には、懐かしの改札鋏なども展示されており、ああ昔はこんなので切符を切られて改札を通っていたななどという思い出に浸れる展示室になっています。
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展示室(駅舎)の裏側には旧新橋停車場のプラットホームも復元されています。
「盛土式石積」という石積み構造で造られており、石は現在では採掘されていないという伊豆斑石が使用されていました。
高層ビルに囲まれた中に、線路もないのに唐突にプラットホームがある様は、なんだかシュールな光景です。
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復元のプラットホームの脇には、数メートルのレールと、その向こうにゼロマイルポストも復元されています。
ゼロマイルポストとは、明治3(1870)年、日本最初の鉄道創設の際に、測量の起点となる第一杭が打たれた場所に置かれた標識です。
日本の鉄道はこのゼロマイルポストから始まり、そして日本全国へ脈々と広がっていきました。
日本の鉄道発祥地である旧新橋停車場。
その歴史を見学に行ってみてはいかがでしょうか。
(訪問月2016年1月)