北区田端~王子間をかつて走っていた貨物線、JR貨物北王子線線路跡を歩いてきました。
以前、北区の軍事遺跡を巡り歩いていた時、王子の町中を走る廃線路を見つけました。
その時は軍事遺跡を探していたのであまり気にしなかったのですが、後になって調べたところ、その廃線は2014年3月14日に運用停止になるまで、田端信号場駅から北王子駅までの約4キロメートル間で運行されていた貨物線「北王子線」であることがわかりました。
開発され尽くした帝都では廃線路など奥多摩とか行かないと見れないとか勝手に思っていたのですが、23区内にも普通にあるんだなということに気づき、物珍しさから再度訪問してみました。
というわけでやってきたJR京浜東北線王子駅前。
北王子線の起点は山手線田端駅直近にある田端信号場駅ですが、北王子線線路の田端~王子間は京浜東北線に随行して走っており、町中を走っていくようになるのはこの王子駅北側からです。
王子駅から、東北本線や京浜東北線、新幹線の線路に沿って北に歩いていきます。
線路をみてみると、新幹線の橋脚の間に、一向に電車が通らない謎の線路が見えます。
赤錆は浮いているものの、まだまだ列車が走れそうな単線のレールです。
こちらが廃止されたJR貨物線「北王子線」の線路跡です。
一見して廃線路という感じではなく、そうと知っていなければこの線路が今は使われていない廃線路であるとはわかりにくいです。
線路を渡す陸橋の上から廃線路を望みます。
北王子線廃線路の左側を京浜東北線が走っています。
ここから先、北王子線は大きく右にカーブしていき、京浜東北線等の線路群から分岐して王子の町中を走っていくようになります。
こんな感じで町中の道路のど真ん中に、グリーンベルトのごとく敷設されている北王子線。
廃線となり誰も通ることのない線路跡ですが、もともと踏切があった場所で侵入できそうな箇所はこのとおり鉄柵が施されています。
踏切警報機には黒いビニール袋が被せられ、一見して使われていないことがわかります。
かつては一定時間ごとに遮断機が降りていたであろう踏切。
当然ですが、今は踏切前で一時停止する車両はいません。
しかし踏切の残骸がかなり残っているため、初めて通る人はついつい惑わされて一時停止してしまうかもしれませんね。
「危険につき線路内立入厳禁」の看板。
見てのとおりぼろぼろです。
貨物車はもう走ることがないため、もはや危険はありません。
道路のど真ん中を通っていく廃線路。
この跡地はやがてどうなるのでしょうか。
整地し道路にし、今ある道路を二車線にしたりするくらいしか利用方法がなさそうですが、二車線にする必要があるくらい交通量がある道路でもありません。
実質2年間放置されている北王子線の廃線路。
単線の貨物線の線路跡として、そんなに幅があるわけもなく、距離があるわけでもない微妙な大きさゆえに、関係者は跡地の再利用に頭を悩ませているのかもしれません。
やがて廃線路は、北王子線の終着駅、北王子駅の跡地へと到着します。
跡地は現在、解体・建設作業中のようで白いフェンスに覆われており、内部を見ることはできなくなっていました。
フェンスの中へと続いていく北王子線のレール。
この先はかつて北王子駅につながっていました。
北王子駅は、日本製紙物流東京事業部北王子倉庫に隣接していた貨物駅で、宮城県の石巻駅から北王子倉庫に紙製品を届けるために存在していました。
そのため、日本製紙により北王子倉庫が廃止・売却されることになると、北王子駅も北王子倉庫と運命をともにすることになったのです。
どこか中を見れる場所がないかと、旧北王子駅の西側にあった道に沿って北へ歩いていきます。
敷地沿いには、三分咲きくらいになった桜並木がありました。
フェンスに掲げられた看板。
どうやら北王子駅・北王子倉庫の跡地は「ザ・ガーデンズ東京王子」という大規模マンションになるようです。
ちなみに奥に見えるのは東京メトロ南北線王子神谷駅前にある巨大UR・王子5丁目団地なんですが、このマンションの建設によって、この辺りは巨大なマンション街になりそうです。
帝都はどこに行ってもそうですが、マンション建設現場ばかりな気がします。
巷では人口減少とか盛んに叫ばれていますが、帝都にいる限りそれを感じることはありません。
北王子駅・北王子倉庫の跡地北端までやってきました。
敷地ぎりぎりまで取り残さず更地になっています。
以前廃線路を見たとき、すぐに来ていればまだ北王子駅・北王子倉庫の遺構が残っていたのかもしれませんが、来るのがちょっと遅かったようです。
跡地北端に、以前ちんちん山児童遊園を訪問したときに見た「産業考古学探索路」の案内板が設置されていました。
案内板の左側は、現在の地図と現在地が示されている地図になっています。
赤い吹き出しがついている所が現在地、左上部に王子駅があります。
上側が南を向いている地図になっているため、個人的になんとも見にくいように感じます。
北が上の方がわかりやすいと思うんですが。
左側はかつてこの近辺に存在していた企業・工場・鉄道等を紹介する地図になっています。
この地図によると、この場所にはかつて旧王子製紙株式会社十條工場があったことになっています。
北王子線の他、この地図には東京第一陸軍造兵廠や軍用鉄道など、これまで当ブログで紹介してきた軍事遺跡も載っています。
ちなみに王電とは都電荒川線の前身である王子電気軌道の王子電車であり、このころは王子~赤羽間も走っていて北王子線とは王子四丁目交差点で平面交差していました。
また、かつては北王子線の途中から分岐している須賀線という貨物線もあったようです。
こちらはウィキペディアより写真を引用した、かつての北王子線です。
仁王立ちした監視員を正面に立たせる貨物機関車が町中を走る様は、王子の名物であったという。
貨物機関車の受け入れ先であった北王子駅はなくなってしまいましたが、廃線路だけは、今も当時を知らせるように町中に残っています。
(訪問月2016年3月)
コメント
コメント一覧 (5)
私は去年、東京都外から北区に引っ越してきました。東京では何気ない街角に興味深い遺物が埋もれているのですね!私もさっそく近所を探検してみようと思います。
管理人様はすてきな趣味をお持ちですね。今後ともお子様共々楽しい
今後ともお子様共々楽しい東京・帝都ライフを送られることをお祈りしております。
はじめまして、コメントありがとうございます。
北区はもともと滝野川区と王子区の二つが合併してできた区で、そのためか王子駅のあたりから雰囲気がガラッと変わります。
それを比べてみるのも面白いかもしれません。
当ブログが街中散策を楽しむ一助になれれば幸いです。
新幹線の高架ができる前、ちょうどこのブログの5,6枚目の写真の場所には、小高い丘があったんです。そこで幼稚園の卒園式の後に友達とサンドイッチを食べたことが思い出されますね。
貨物列車も踏切で待たされて「うぜー」とか思ってましたし、その当時はこの駅が北王子駅という貨物線の駅だということも知らず、別に気にもとめてませんでした。脇の桜並木は綺麗でしたけど、今はこの辺りはどうなっているんだろう?
この貨物駅に関係が深い神谷堀も埋め立てられる前をぼんやりと覚えてます。とても懐かしい思い出です。そんな元地元を思い起こさせる記事でした。ありがとうございます。
はじめまして、コメントありがとうございます。
今からではまったくわかりませんが、あのあたりに丘があったのですね。
北王子線の線路跡は、現在撤去されつつあるそうです。
桜並木は残されるでしょうが、線路跡が消えゆくのはなんとも寂しいですね。