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港区芝公園にある洞窟霊場、松蓮社弁天洞を訪問してきました。
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かつては東京のシンボルであった、東京タワーを目の前にする港区の芝公園。 
徳川家の菩提寺である増上寺を中心に広がるこの公園は、港区の名所として今日も多くの人が訪れています。
この日も家族連れ、学生、ランナー、外国人観光客、そして休日でも疲れきったスーツ姿を晒す中年男性で賑わっていました。
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こちらはそんな芝公園内の史跡、芝丸山古墳。
芝丸山古墳は都内では最大級の前方後円墳だそうですが、一見してどこからどこまでが古墳なのかよくわからない謎の史跡です。
芝丸山古墳の発見は、ヨーロッパに留学していた自然人類学者・坪井正五郎が、帰りの船で故郷(東京)を思い出した際、ふと故郷の山(芝公園)が不自然に盛り上がっていたことに気づき、帰郷後そこを掘ってみたら実は古墳だったなどという不思議な経緯があります。
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その芝公園の北端、港区芝公園三丁目の御成門小学校から道路を挟んだ向かい側に、ビルに囲まれた場所にある寺院があります。
こちらは増上寺周辺にたくさんあるお寺のうちの一つで、「松蓮社」という寺院です。
この寺院は、三代将軍徳川家光の長女千代姫のお位牌所となったという由緒あるお寺です。
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この寺院の境内には、どう見ても寺には見えない日本家屋が一軒あるだけで、一見してお寺とは思えません。
なぜなら松蓮社は太平洋戦争中、空襲によって本堂が焼失してしまったからです。
現在、敷地内には松蓮社の管理者が住む家屋のみが建っているため、一見してお寺とわからず、あらかじめここがお寺と知っていなければ非常に入りにくいところです。
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その松蓮社の民家の右端に、隣接するビルとの間に人が歩ける僅かな空間があります。
この先に、かつてNHK番組「ブラタモリ~東京タワー・芝」の回で放映されたという、弁天洞窟があるという。
今回はこの弁天洞窟を探訪したいと思います。
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弁天洞窟へは、ここが寺院でなく普通の民家であれば100%住居侵入で110番されそうな、この台所裏通路を通っていきます。
特に案内とか看板とかそういう気の利いたものはないので、ここが松蓮社という寺院であり、この先に弁天洞窟があるということを知っていなければ、まず行こうと思わない通路です。
隣のビルの窓はカーテンが開け放たれており 、中は至近距離から丸見えでした。
たまたま中には人がいませんでしたが、もし誰かいたらとても気まずい思いをしそうです。
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通路の先に弁天洞窟の入り口が見えてきたとき、ちょっとほっとしました。
これで先に洞窟がなく、誰かと鉢合わせしたらなんて言い訳をしようかと考えていた所でした。
ここに至るまで、受付とかそういうのはないので、端から見ればただの住居侵入ですから。
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弁天洞窟の入り口には懐中電灯が用意されていました。
種類の違う懐中電灯が二つあります。
洞窟は二人が一緒に入れるほど広くはないので、好きな方を選べということでしょうか。
間違った方を選ぶと途中で明かりが消えるトラップとかあったらどうしよう。
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赤い懐中電灯を手に取り、弁天洞窟へ。
洞窟の入り口はかなり狭く、大人は屈んで入らなければならないほどです。
弁天洞窟はこれまで稲城の弁天洞窟江ノ島の弁天洞窟高尾山弁天洞窟蟠竜寺弁天洞窟などいろいろ行きましたが、この狭さはもっとも狭かった高尾山弁天洞窟級です。
高尾山に比べてマシなのは、洞窟がびしょびしょに湿っていないことですかね。
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洞窟を見てみるといきなりすぐ目の前に石像があります。
あれ、これが弁財天かと思いましたが、どうもこれは違うらしい。
形からして観音様でしょうか?
真新しいりんごや花が供えられているので、きちんとこの弁天洞窟が管理されていることがうかがえます。
この石仏の左手に、細長い洞窟が続いています。
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弁天洞窟の内部はこんな感じです。
洞窟内は照明などなく、外の光も入ってこないため暗黒の世界です。
懐中電灯の明かりはかなり弱々しいため、申し訳程度しか洞窟内を照らせません。
写真が明るく見えるのはカメラのフラッシュのためです。
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洞窟は一本道ですがストレートの直線ではありません。
微妙に左右に蛇行しているため先が見通せず、奥にどれほど距離があるのかわからない形状になっています。
暗闇とカーブによって先が見えないことが、どこまで洞窟が続いているんだろうという不安感を煽ります。
奥はどうなっているのでしょうか。
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狭く真っ暗闇の洞窟は怖いです。
以前、稲城の弁天洞窟で天井にゲジ筑波海軍航空隊地下応急治療所で溢れんばかりのカマドウマに遭遇したことを思い出します。
洞窟内では、特に頭の上には何がいるかわかったものじゃありません。
ゲジやカマドウマは毒を持たないからまだいいものの、オオムカデとかが頭に落ちてきたら洒落になりません。
執拗に懐中電灯の光で頭の上を検索しながら、奥に進んでいきます。
どうやら、この洞窟にヤツらはいないようでした。
もっとも、訪問時期によっては溢れているのかもしれませんが。
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途中、洞窟が二又に分かれている箇所がありました。
あれ、一本道だと事前に聞いていたのですが。
しかし左手の道には障害物があり、「通行禁止」との貼り紙があります。
左の道は行けないようです。
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左手の道は更に狭い洞窟になっていました。
写真を撮ってみると、左の道は奥で更に二手に分かれているようです。
この先には何があるのでしょうか。
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通行禁止の先に後ろ髪を引かれつつ、正規ルートをさらに進むと、やがて洞窟の終端が見えてきました。
松蓮社弁天洞の総延長は約20メートルとのことでしたが、実際に歩いてみると30~40メートルくらいあったように感じました。
暗闇であり、また道が蛇行していて先が見通せないため、実際の距離より長く感じる洞窟であったと思います。
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松蓮社弁天洞の最奥に鎮座する弁天様。
この弁天様は、いわゆる七福神の一神としての弁財天ではなく、千代姫のために特別に作られた「勝利弁財天」であるそうです。
七福神の弁財天との違いはよくわかりませんが、勝利弁財天は腕が八本あり各々の手に武器を持つ八臂弁財天でした。

この松蓮社弁天洞は1日と17日の月二回しか公開されないという。
当然ながら公開日に行ったわけですが、ここに来るまで受付らしい人には一切会うことなく、総スルーで来ました。
非公開の日はどのようになっているかわかりませんが、確実に洞窟に入りたいならやはり1日か17日に来るべきと思います。 
(訪問月2016年5月)