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荒川区町屋にある私設美術館、ぬりえ美術館を訪問してきました。
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現在地は、旭電化工業(現ADEKA)尾久工場跡地に造成された尾久の原公園の近くです。
ぬりえ美術館は、尾久の原公園直近の、荒川区東尾久と町屋の間を通る大門通り沿いにあります。
最寄り駅は都電荒川線の東尾久三丁目若しくは町屋二丁目駅で、この美術館は荒川の町工場が多い下町の中に突如として現れる小さな美術館です。
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土日祝日のみ開館しているぬりえ美術館。
開館している時は入り口のドアが開け放たれているようで、ドアの裏側にはかわいらしい女の子が描かれています。
公園のブランコで遊ぶ少女の絵。少女の楽しい気持ちが伝わってくるようです。
ちなみにうちの娘のあやちゃんは、一度ブランコに乗ると一時間以上降りようとしません。
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ぬりえ美術館は大平洋戦争の敗戦後、昭和20~30年代に童女のぬりえのイラストで人気を博したぬりえ作家、蔦谷喜一(つたやきいち)の作品を中心に様々なぬりえ作品を展示した美術館です。
普通の一軒家のような小さな美術館で、展示室もその一階部分だけなのでささっと見れば見学時間は15分とかかりません。
本当に小さな美術館なのですが、しかし北海道や宮城など遠方からも来館者がある人気の美術館です。
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館内に展示されている蔦谷喜一作のぬりえ。
大平洋戦争の敗戦後、日本が貧しかった時代、ぬりえは子供たちにとても人気があったという。
その中でも蔦谷喜一作の「きいちのぬりえ」は駄菓子屋のベストセラー商品として、毎週平均100万部、ピーク時には160万部も売れていたそうです。
戦後の混乱期、その時代の子供たちは、どんな思いを胸にこのぬりえに色を塗ったのでしょうか。
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館内には「きいちのぬりえ」体験コーナーもあります。
蔦谷喜一作のぬりえの本と色鉛筆があり、本の中のイラストに好きなように色をつけることができます。
色鉛筆を見つけるやいなや、「きいちのぬりえ」の本のぬりえに色を塗り始めるあやちゃん。
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現代にもぬりえはありますが、きいちのぬりえの特徴はぬりえのキャラクターが完全オリジナルであり、公式の色がないことです。
したがって、イラストの女の子について、どんな色で塗っても正解で、間違いはありません。
ここがすでに固定の色が決められていて、「正解」と「間違い」がある公式アニメキャラクターもののぬりえと違うところ。
「ここはどんな色で塗ろうか」と考える、子供の想像力が養われそうですね。
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ぬりえ体験コーナーの奥には、「きいちのぬりえ」の展示コーナーがあります。
私たちの他にも何人かお客さんがいましたが、ほとんど女子。
唯一お父さんと思われる男性もいましたが、やはり娘連れでした。
基本女子向けの展示施設ですね。
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展示用什器に配置されたぬりえの女の子たち。
ちなみにぬりえの女の子の暮らしぶりは、当時の庶民よりワンランク上の、いわゆる「いいとこの女の子」の暮らしぶりであるという。
なるほど確かに女の子の服装一つとってみても、昭和のレトロモダンなおしゃれアイテムが装着されています。
普通の庶民はこんな服着ませんよね…
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敗戦後の貧しい日本の女の子にとって、お姫様、お嬢様のように暮らすぬりえの中の女の子は、自分の夢や希望、憧れの存在でした。
当時の子供たちは豊かさへの憧れ、未来への夢と希望を込めて、こうしたぬりえに自分の思いのままに色を塗ったのでしょうか。
戦後の誰もが必死に生きていた時代に、自分の思いのままにぬりえに色を塗っていた子供たちを想像すると、なんだか心温まるようです。
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ぬりえが親しまれた終戦後の昭和20~30年代は、日本は大変貧しく、物のない時代であったが、代わりに人々は思いやりに溢れ、心の豊かな時代であったという。
確かに展示されたぬりえを見ていると、私自身も心が落ち着くような、優しい気持ちになっていく気がします。
それはぬりえが、日本の古き良き文化を内包しているからでしょうか。
ぬりえが流行した昭和の一時に生きていなかった私たちが、当時のそれを見てどこか懐かしいような気持ちになるのは、ぬりえが夢と希望に溢れた、日本人の心の原風景であるからかもしれません。
(訪問月2016年6月)