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北区神谷にある、北区立神谷公園を歩いてきました。
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神谷公園は都内でも有名な心霊スポットであり、北区の中では岩淵にある旧岩淵水門と並ぶ二大心霊スポットとして知られています。
しかし入り口から子供たちのはしゃぎ声が聞こえるこの賑やかな公園が、なぜ心霊スポットなどになっているのでしょうか。
この公園を一見しての感想は、子供たちが元気に遊んでいて平和だなということですが。
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現在、時刻は午後5時40分。
夕暮れ時の、辺りが昼から夜へと変わろうとする逢魔が時です。
逢魔が時は薄暗闇の、魔物に遭遇するという時間帯。
子供のころ外で友達と遊んでいて、暗くなるから家に帰らなくてはならないこの逢魔が時は、なんとも物悲しい気持ちになったものであり、そのときの記憶は断片的ながら今も覚えています。
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そんな逢魔が時の神谷公園ですが、この時間帯にもかかわらず遊んでいる子供たちはとても多いです。
それもそのはずで、神谷公園は北区立神谷小学校の真裏に造成されています。
この公園はこの近辺の小学生のテリトリーと言えるでしょう。
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そんな子供たちが遊びまわる神谷公園の南東には、フェンスで仕切られた長方形の広場があります。 
そこはキャッチボール広場で、今日も数人の子供が中でボール遊びをしていました。
フェンスにボールがぶつかる音ががんがんとこちらまで鳴り響いています。
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そのキャッチボール広場の南東隅、普通に神谷公園を利用しに来た人ならまず気づかないような場所に、隠れた通路があります。
ここに来るには一度神谷公園を出なければならないし、道の先には神谷小学校が見えるので、一見しただけでは神谷小への裏口にしか見えず、一般人はまず立ち入らない秘密の通路です。
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しかし通路にはアジサイなど色とりどりの花が植えられており、また途中には土地区画整理事業の記念碑が建っていて、碑の周辺の草が刈りこまれているなど、この通路に定期的に人の手が入っていることがわかります。
右手はキャッチボール広場で、フェンスの向こうでは子供たちが遊んでいます。
こんなところを歩いている私たちを、子供たちは訝しげに見ているに違いない。
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通路の一番奥には、人がまず通らない公園の端っこながら、若干しなびた花や水が供えられた黒い碑が建っています。
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碑には「大東亜戦争犠牲者慰霊記念碑」と銘打たれています。
これは昭和20(1945)年、東京大空襲のあった3月から無条件降伏の8月までの間、神谷地区の住民三百数十名が空襲で亡くなり、ここ神谷公園に仮埋葬された魂を慰霊する記念碑です。
軍事施設が密集していた王子と赤羽に挟まれたこの神谷には、たびたび空襲があったようです。
この大東亜戦争犠牲者慰霊記念碑が、微妙に人目につかないこのような隠れた場所にあるために、ここ神谷公園は心霊スポットになってしまったと思われます。
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記念碑の向かいのキャッチボール広場では、子供たちが元気に運動しており、その様子が記念碑からよく見えます。
戦争の犠牲となった方々の魂は、子供たちが空襲に怯えることなく遊びまわる姿を見て、穏やかに眠ることができたでしょうか。
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かつて東京大空襲城北大空襲等、アメリカ軍の無差別空襲により発生した多数の犠牲者が埋葬された神谷公園。
戦勝国による無差別攻撃の悪行を隠蔽するためだったのか、その亡骸が改葬されたのは仮埋葬から6年もの歳月が過ぎた昭和26(1951)年のことでした。
この神谷公園は心霊スポットと言われていますが、ひょっとしたら、犠牲者たちの魂は今なお神谷公園の土に宿っており、子供たちを見守ってくれているのかもしれません。
(訪問月2016年6月)