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上州富岡駅から徒歩約15分、富岡製糸場に到着しました。
富岡製糸場は明治5年に官営製糸場として開業し、その後民間に払い下げられ、経営母体を変えながらも昭和62年まで現役施設として稼働していました。
学生のころに歴史の教科書で見た、明治初期の富国強兵政策の象徴たる富岡製糸場が、自分が勉強していたその頃まで稼働していたのだと初めて知りました。
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富岡製糸場は東繭倉庫、西繭倉庫、繰糸場、ブリュナ館、検査人館、女工館、診療所、寄宿舎等で構成されていますが、現在のところ施設の中に入れるのは東繭倉庫と繰糸場だけです。
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富岡製糸場に入場してすぐ目の前にある東繭倉庫。
繭の貯蔵庫だったそうですが、現在は富岡製糸場の歴史の展示施設になっています。
売店もあって、絹に関する製品を購入できます。
木骨レンガ造り(フランス積み)という、和洋折衷の建築物です。
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展示施設には明治期の女工が使ったフランス式の繰糸器などがあります。
繰糸体験もできるそうです。
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東繭倉庫左手にある診療所。
こんなのがあるところを見ると富岡製糸場は相当福祉のしっかりした職場だったのだとわかります。
映画「ああ野麦峠」では、当時の厳しい職場環境ばかりが強調されていますが、実際に工女の給料は当時としてはかなりよかったようです。
ネットで元祖ブラック企業だとかも言われていますが、給料をきちんと貰える時点で今のブラック企業にはとてもかなわないんじゃないですかね。
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製糸場の隅っこにある寄宿舎。
田舎にある分校みたいです。廃村とかにありそうですね。
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繭の乾燥場。
2月14、15日の大雪の影響で崩壊してしまいました。
できるだけ早期に復旧させると書かれていますが、どうやって復元させるのだろう。
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繰糸場。富岡製糸場最大の見所です。
巨大な工場と、トラス構造の屋根、ずらりと並ぶ自動繰糸機など、好きな人には素晴らしいところ。
自動繰糸機こそ昭和のものですが、工場は明治のものそのまま。
三角形に部材を組み合わせたトラス構造によって屋根の負担が軽減され、工場の真ん中に柱を建てなくても大丈夫なのだそうです。
この広い場所を最初から確保できていたことによって、富岡製糸場は時代が変わっても取り壊されることなくそのまま使われていました。
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世界文化遺産登録勧告で賑わう富岡製糸場。
しかし見所はそれほど多いわけでもなく、すれ違った人は「通り道じゃなければこなかった」などと言ってました。
世界遺産になっても何かが変わるわけでもなく、人を楽しませるために作ったわけではない工場がそのまま残されるだけです。
こういった場所を楽しめる人でなければ、あまり面白みがないのかもしれませんね。
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明治の富国強兵のために、10代の若い工女を使って貿易品の生糸を造り続けた富岡製糸場。
女性の働く場を増やし、閉塞する日本経済を打開せんとする今の政策と被る面がある。
しかし女性を過度に働かせてしまうと、結果として出生率が下がってしまい、次代の働き手が減って結局は将来にツケを回すことになってしまうのではないかとも思います。 
今の日本はこの富岡製糸場にならって、明治のころのように飛躍することができるでしょうか。 
(訪問日2014‎年‎5‎月‎11日) 

富岡製糸場付近の地図