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千代田区富士見にある軍事遺跡、陸軍軍医学校跡を歩いてきました。
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多数の人々が行き交うJR飯田橋駅から、歩いて5分ほどの位置にある東京逓信病院。
東京逓信病院は昭和13(1938)年、逓信省(現総務省)職員とその家族を対象とした職域病院として開設された病院です。
今では関係者以外でも利用できるようになった東京逓信病院ですが、歴史をさかのぼっていくと、東京逓信病院以前のこの敷地には日本陸軍の軍医学校が建っていました。
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陸軍軍医学校は明治21(1888)年に陸軍省内にあった軍医学校を移転する形でこの場所に開校された、日本陸軍の医学系教育機関です。
大正12(1923)年に発生した関東大震災によって、陸軍軍医学校は本館建物が崩壊する甚大な被害を受け、昭和4(1929)年現在の戸山公園がある牛込区(現新宿区)戸山町へと移転していきました。
ちなみに移転後の戸山の陸軍軍医学校は、昭和20(1945)年5月25日の山の手大空襲によってほぼ全焼しています。
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東京逓信病院は、この旧陸軍軍医学校の跡地に建てられたものです。
東京逓信病院の横には靖国神社へと続く坂道があります。
逓信病院周辺は飯田橋サクラテラスや法政大学などがあって人通りは多いですが、この坂道に限っては人通りはそれほど多くありません。
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この坂道はあちこちに警察官が配置しており、異様な雰囲気を醸し出しています。
警察官の近くには金属製の巨大な盾などが置かれており、厳戒態勢のピリピリした緊張感が伝わってきます。
しかし警察官たちは何かをするわけでもなく、ただ立っているだけなので、ここがどんな場所なのか知らなければ何をやっているのかよくわかりません。
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その答えは坂道の先にあるこの建物にあります。
この建物は近年核実験やミサイル発射問題などで揺れる朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支持する在日朝鮮人の団体「朝鮮総連」の中央本部です。
北朝鮮への抗議として朝鮮総連への暴力行為に訴える者も多いのか、警視庁の機動隊があちこちで目を光らせ警戒に当たっています。
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朝鮮総連中央本部から先は、人通り・車通りがまばらにもかかわらずやたら道が広く、広小路的な街路になっています。
この辺りの道は江戸時代、その形状から「蛙原」と呼ばれていたそうです。
蛙原の西側はすでに逓信病院の敷地から法政大学富士見坂校舎へと変わっており、富士見坂校舎はかつてこの地にあった嘉悦学園女子中学校・高等学校の校舎を改修したものです。
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その富士見坂校舎の塀の前には、「陸軍用地」と刻まれた軍用地境界石が残っていました。
嘉悦学園女子中学校・高等学校の校舎が建てられたのが昭和7(1932)年と、陸軍軍医学校の移転後のことなので、この校舎も旧陸軍軍医学校の跡地に建てられたものと推測できます。
おそらく場所的に陸軍軍医学校の南東角の軍用地境界石だったのではないでしょうか。
陸軍軍医学校の開校が1888年だから、そのころからあるのだとすれば、130年近く経っている軍用地境界石ですね。
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なおこの陸軍軍医学校では、実は文豪・森鴎外が第7代と第12代の校長を努めています。
鴎外は旧帝国陸軍において軍医総監(中将相当)まで昇進するとともに、陸軍軍医の人事権を握るトップの陸軍省医務局長を努めるなど、陸軍とは密接な関係にありました。
鴎外がこの軍医学校で愛用していた執務机は、軍医学校の移転先である戸山の国立国際医療研究センターに今も保存展示されています。
(訪問月2017年3月)