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港区六本木の国立新美術館でアルフォンス・ミュシャ展をやっていたので訪問してきました。
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アルフォンス・ミュシャは近代、パリで活躍したチェコの画家兼グラフィックデザイナーです。
初期、画家として活動したらあまり売れなかったので、雑誌の挿絵などデザイナーとしての仕事を手掛けたら成功したという芸術家です。
19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスのパリで、リトグラフを活用した多くのポスターや装飾パネル、広告を制作し高い評価を受けました。
リトグラフで有名なミュシャですが、絵画の代表作は1910年から故国のチェコで約20年かけて制作した20点の連作「スラヴ叙事詩」です。
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チェコおよびスラヴ民族の神話や伝承を描いた大作、スラヴ叙事詩。
しかしミュシャがこの作品の制作後、故国であるチェコは1939年、ナチス・ドイツの恫喝を受け、ドイツ第三帝国に併合されてしまいます。
この時、愛国的な絵画だった「スラヴ叙事詩」を制作したミュシャはナチスから危険人物と見なされ、ナチスの秘密警察「ゲシュタポ」に逮捕されました。
ゲシュタポによる厳しい尋問は当時78歳と高齢だったミュシャに耐えられるものではなく、ミュシャは逮捕から4ヶ月後にこの世を去っています。 
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スラヴ叙事詩はチェコ国外において展示されることが稀な作品で、本来はプラハに行かなきゃ見れないのですが、現在、そのスラヴ叙事詩全20点が六本木の国立新美術館において展示されています。
スラヴ叙事詩全20点揃っての国外展示はこれが初とのことで、国立新美術館は平日の昼間にもかかわらず大変な人だかりでした。
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美術館内のスラヴ叙事詩展示室の一部は写真撮影可となっています。
普段は国外展示をしないスラヴ叙事詩が日本で展示されているためか、外国人の見学者も多かったです。
やっぱり外国人ファンもわざわざプラハまでは行きたくないんですかね。
ミュシャ展は大変混雑していましたが、スラヴ叙事詩の各作品から放たれる圧倒的な神々しさを堪能させていただきました。
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ここで話は変わりますが、国立新美術館が建っている土地は戦前まで日本陸軍第一師団歩兵第三連隊の兵営があった軍用地でした。
国立新美術館の中には昭和3(1928)年、この地に建設された歩兵第三連隊兵舎の100分の1模型が展示されています。
戦前の六本木周辺は、歩兵第三連隊のほか歩兵第一連隊など日本陸軍の軍施設が建ち並ぶ兵隊の街でした。
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歩兵第三連隊は1936年に満州チチハルに移転するまで、ここ六本木七丁目に駐屯していました。
移転の契機は同年に発生した二・二六事件です。
歩兵第三連隊の皇道派の一部青年将校は、周辺の歩兵第一連隊近衛歩兵第三連隊等の皇道派将校とともに下士官兵約1500名を率いて総理官邸(黄色マーカー)や高橋是清蔵相邸他を襲撃。
この事件によって時の岡田内閣は総辞職に追い込まれ、代わって組閣した広田内閣では軍部大臣現役武官制(陸海軍大臣は現役の大将中将があたる制度)が復活し、これが後に戦前最後の親米内閣であった米内光政の米内内閣を倒閣させ、日独伊三国軍事同盟締結の遠因となってしまいます。
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二・二六事件を起こすことによって、結果的に大日本帝国とナチス・ドイツの同盟締結の立役者となった陸軍第一師団歩兵第三連隊。
ナチスによって命を落とすことになったミュシャの大作「スラヴ叙事詩」全20点が揃って初めて国外に持ち出された場所が、二・二六事件を起こしナチス・ドイツとの同盟の道を作り大日本帝国を破滅させた歩兵第三連隊の兵舎跡地に作られた国立新美術館というのが、なんとも興味深いです。
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上空から見ると漢字の「日」の形のようになっている第三連隊の兵舎は昭和3(1928)年、日本陸軍初の鉄筋コンクリート造兵舎として建築されたものです。
この建物は関東大震災によった大打撃を受けた帝都東京の復興建築として価値の高いもので、敗戦後も東京大学生産技術研究所(一部、物性研究所)として平成13(2001)年まで使用されました。
そして歩兵第三連隊兵舎の一部は現在も、国立新美術館の別館として保存活用されており、別館エントランスでは歩兵第三連隊の資料も展示されています。
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歩兵第三連隊は二・二六事件後、満州チチハルに移転しますが、そこで事件に参加した下士官兵は中国やソ連との戦いの最前線に駆り出され、事件の責任を取らされるようにその多くが戦死したと言われています。
ナチスによって命を落とすことになったミュシャの「スラヴ叙事詩」全20点と太平洋戦争の道を作った日本陸軍第一師団歩兵第三連隊兵舎跡という、二つの近代の歴史が現代で交錯した国立新美術館。
スラヴ叙事詩の展示期間は本年6月5日までですので、興味ある方は訪問してみてはいかがでしょうか。
(訪問月2017年3月)