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港区赤坂にある軍事遺跡、陸軍近衛歩兵第三連隊跡地を歩いてきました。
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現在地は赤坂と永田町の間を通る外堀通り、総理官邸に近い山王下交差点です。
山王下交差点の南東には地上44階建ての超高層ビルディング、山王パークタワーが建っています。
山王パークタワーは、昭和11(1936)年のクーデター事件、二・二六事件で叛乱部隊が占拠し、その司令部となった山王ホテルの跡地に建てられたビルです。
山王パークタワーの向かいには、叛乱部隊が襲撃した首相公邸が建っています。
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山王下交差点の西側は、かつて高級料亭街だった赤坂の街です。
今でも多くのビジネスマンが行き交う赤坂ですが、太平洋戦争の敗戦まで赤坂には陸軍の兵営が集中しており、現在のTBS放送センターと赤坂サカスがある場所には近衛第2師団に所属していた近衛歩兵第三連隊が駐屯していました。
近衛歩兵第三連隊は、近衛師団にもかかわらず二・二六事件に将兵の一部が参加し、時の大蔵大臣高橋是清を殺害してしまった部隊です。
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赤坂サカスの北側には円通寺通りという一方通行の狭い通りがあります。
この道は佛智山円通寺という日蓮宗寺院の前を走る通りで、なにやら路上駐車が多かったです。
この円通寺通り上に、当時の近衛歩兵第三連隊赤坂兵営の軍事遺跡が残されています。
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車両一方通行の円通寺通りを円通寺方向に歩いていくと、途中鈴降稲荷神社の案内板が建っています。
まあ普通に見ればなんでもない案内板なのですが、この案内板の足下、生い茂る草によって隠れている場所に境界石が残っています。
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草をどけると、花崗岩性で風化が激しい軍用地境界石が顔を現しました。
残念ながらそのほとんどが地中に埋まっており、「陸軍」の記載があるかどうかはわかりませんでしたが、場所から考えて近衛歩兵第三連隊兵営の敷地北限を示す軍用地境界石と思われます。
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その境界石から10mほど通りを西へ進んだ所に、伊藤園の自動販売機が置かれています。
この伊藤園の自動販売機とシルバーのフェンスの隙間にも、別の境界石が建っています。
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こちらもだいぶ風化していますが、「陸軍」と読める軍用地境界石です。
近衛歩兵第三連隊の兵舎は赤煉瓦三階建ての立派なもので、赤坂の街の名物であったという。
昔の地図によると、この近くに兵舎の営門があったようです。
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さらに円通寺通りを進んでいくと、左手にシティハイツ一ツ木という区営住宅が見えてきます。
この区営住宅敷地と円通寺通りを隔てる囲いの足下に、三つ目の軍用地境界石が残っています。
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「陸軍省所轄(地)」と読める軍用地境界石。
いつも思うのですが、陸軍用地の境界石と陸軍省所轄地の境界石の違いがわかりません。
しかし陸軍省所轄地の軍用地境界石のほうが風化が少なく新しいもののように見えます。
造られた時代が違うんでしょうね。
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円通寺通りをさらに西へ進んで、円通寺坂を上っていくと、左手に赤坂パークビルの敷地へ入れる切り通しのような階段があります。
赤坂パークビルは三菱地所が管理するオフィスビルです。
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赤坂パークビルの北側には、木々の生い茂る公園緑地があります。
この公園緑地は、「東京における自然の保護と回復に関する条例」に基づき、三菱地所が設置したものです。
この公園緑地には「銀杏ヶ丘」と書かれた黒い石柱が建っています。
これがこの公園緑地の名前でしょうか。
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公園緑地中央は巨木が立っており、その向こうに二つの石碑が置かれています。
右の石碑が近衛歩兵第三連隊跡記念碑で、左は近衛歩兵第三連隊会による記念碑の説明板「記念碑に添えて」です。
近衛歩兵第三連隊記念碑は元々、昭和37(1962)年秋にこことは別の場所にあった「銀杏ヶ丘」に建立されたものですが、土地開発の進展に伴い、三菱地所の厚意によりこの場所に移されたとのことと説明板に書かれています。
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その他、説明板には近衛歩兵第三連隊の創設から解散までの歴史が書かれています。
しかし、ここに連隊の黒歴史といえる二・二六事件についての事は一切書かれていません。
昭和天皇が「私自身が直接近衛師団を率いて叛乱部隊の鎮圧にあたる」と述べた二・二六事件に一個中隊が参加していた近衛歩兵第三連隊は、当時は立つ瀬がなかったでしょうね。
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近衛歩兵第三連隊は明治24(1891)年から昭和15(1940)年までの約49年間、ここ赤坂の地に駐屯し、日清・日露両戦争に出征し武功を挙げています。
昭和15(1940)年6月には支那事変で中国大陸へと出征し、続く太平洋戦争においてシンガポール、北部スマトラ、アンダマン・ニコバル諸島方面へと転戦し、大きな犠牲を出してスマトラ島で終戦を迎えました。
太平洋戦争への大きな分岐点であった二・二六事件に関与し、太平洋戦争を戦い抜いた近衛歩兵連隊の記念碑が、ここ銀杏ヶ丘にひっそりと建っています。
(訪問月2017年9月)