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静岡県富士宮市上井出にあるレジャー施設、富士ミルクランドを子供たちとともに歩いてきました。
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富士山西麓標高700~1000mに広がる高原、朝霧高原。
朝霧高原は酪農を行う牧場が多数点在する高原です。
富士ミルクランドは、そんな酪農地朝霧高原で牛の乳搾り体験やバター作り、動物たちとの触れ合いが楽しめる自然体験スポットです。
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富士ミルクランドの名物は、新鮮な牛乳を使ったジェラート。
口に入れるとふわっと溶ける作りたてのジェラートは絶品です。
ただジェラートゆえに溶けやすいので、暑いときにコーンで頼むのは危険です。
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富士ミルクランドのある朝霧高原は、もともと昭和10(1935)年ころまで旧八ケ村の入会地として周辺農家が草を刈り取るために利用していた原野だったそうです。
朝霧高原は日中戦争が勃発した昭和12(1937)年に大日本帝国陸軍の演習地として軍に接収されました。
昭和17(1942)年8月、富士宮市上井出に千葉陸軍戦車兵学校から陸軍少年戦車兵学校が移転してくると、朝霧高原一帯が終戦まで同校の演習地として利用されたという。
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終戦後、数多く残された少年戦車兵学校の校舎を住居として利用し、朝霧高原に酪農を中心とした理想郷を創立し日本再建に役立てようとする構想が生まれました。
国全体に食糧が不足していた昭和21(1946)年、朝霧高原では緊急開拓事業の国営開拓地として自作農家創設事業が開始され、復員した軍人、近県の青年や満蒙開拓団の人々などが入植したという。
この集団入植が、現在の朝霧高原における酪農の始まりとなっています。
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富士ミルクランドの南側には入場無料の動物ふれあい広場があります。
終戦後の朝霧高原は土壌が極端に痩せており、敗戦国ゆえに満足な肥料、作業機もなく、朝霧高原の農業は「穀物は実らず、葉物は茂らず、根物は太らず」というありさまだったという。
昭和24(1949)年までの4年間朝霧高原での農業は失敗の連続だったため、同年に種殻農業から畜産農業への転換が行われることとなりました。
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その後の昭和26(1954)年、国から高度集約酪農地域の指定を受け、酪農専業地域としての第一歩を踏み出した朝霧高原。
富士ミルクランドの動物ふれあい広場では、そんな朝霧高原の酪農を支えた動物たちと触れ合えます。
広場内には牛や羊、ヤギ、アヒル、ロバ、馬なんかが飼育されていました。
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広場内には妙に人なれしたヤギが特に多いです。
このヤギは「ゆきこ」という名前のヤギで、妊娠しているみたいでお腹が膨らんでいます。
妊娠中で栄養が必要なのか、かなり遠くから物欲しそうな顔でこちらを眺めていました。
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動物ふれあい広場では餌やり体験もできます。
餌は有料ですが100円でカップ一杯分のニンジンととてもリーズナブルです。
この動物ふれあい広場事務所横で餌を買えます。
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先ほどの妊娠したヤギに、おっかなびっくりでニンジンをあげる娘。
動物たちは餌を貰いなれているのだろう、手をかじることなどなく器用に子供の手からニンジンを取っていきます。
柵の間から強引に頭を突き出してくるため、戻れなくなったらどうしようとか心配です。
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動物広場では餌やり体験だけでなく、牛の乳搾り体験も一回300円でできます。
朝霧高原では昭和29(1954)年高度集約酪農地域の指定を受けた際、国有貸付牛としてオーストラリアやニュージーランドからジャージー種250頭余の導入が図られたという。
このジャージー牛もその国有貸付牛の末裔でしょうか。
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広場にいる羊とフォルスタイン種の牛。
その後の朝霧高原では、草地改良事業や飼料基盤の整備、大型機械の導入など徐々に酪農地域としての基盤が確立されていきました。
その中により生産性の高いフォルスタイン種の導入もあり、現在の朝霧高原はフォルスタイン種を中心とする乳牛が群れ遊ぶ牧場が数多く点在します。
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その名もA(朝霧)K(高原)F(フォルスタイン)48。
朝霧高原には48頭のフォルスタイン種の牛がいるようですね。
戦時中戦車の演習場であった朝霧高原は今、新鮮なミルクが堪能でき、高原の動物たちとふれあえる酪農地域となっています。
(訪問月2018年7月)