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荒川区西尾久にある遊園地、荒川区立あらかわ遊園を娘と歩いてきました。
なおあらかわ遊園は、リニューアル工事のため平成30年12月1日から休園となります。
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娘と二人都電荒川線に乗って、あらかわ遊園にやってきました。
あらかわ遊園は東京23区内唯一の区営遊園地で、最寄りの都電停留場は荒川遊園地前停留場です。
遊園地の正式名称が「あらかわ遊園」でひらがなかつ末尾に地が付かないのに、都電の停留場の名前が「荒川遊園地前」なのはどうしてなんでしょうね。
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今回娘を連れてあらかわ遊園にやってきたのは、あらかわ遊園ゲート前に荒川区教育委員会が設置したこの解説板に書いてあるものが目的です。
解説板の最後の方には「大正十一年に開園した民営遊園地、荒川遊園は賑わいをみせたが、太平洋戦争中は高射砲陣地となり一時閉鎖…」
うんぬんと書いてあります。
ここに記載の太平洋戦争中の高射砲陣地の遺構を探しに、ここあらかわ遊園にやってきたのです。
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というわけで大人200円を払って入園します。幼児は無料です。
ゲートの近くには、下町都電資料館や鉄道模型運転場があるふれあいハウスがあります。
ふれあいハウス周辺の水辺の広場を娘と探索しましたが、高射砲陣地の遺構はないようでした。
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こちらはあらかわ遊園敷地のど真ん中を占めるのりもの広場。
のりもの広場では娘の要請で、スカイサイクルに乗ることになりました。
スカイサイクルの運転中娘に「怖くない?」と聞き続けましたが、実は高所恐怖症の自分の方が怖かったというのは秘密です。
空から高射砲陣地の遺構を怖々と探してみましたが、それっぽいものは見つかりませんでした。
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飼育されているヤギや羊、モルモットなどの動物と触れ合えるふれあい広場。
娘はふれあい広場でヤギを、へっぴり腰で撫で撫でしていました。
娘がヤギや羊に気を取られている隙に広場を探してみましたが、高射砲陣地の遺構は見つかりませんでした。
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ふれあい広場の隣は、牛や猿、鹿やポニーなどが飼育されているどうぶつ広場。
どうぶつ広場では孔雀が放し飼いにされていたので、孔雀と一緒に周囲を徘徊してみましたが高射砲陣地の遺構は見つかりませんでした。
なおどうぶつ広場はふれあい広場と違って柵がないため、この孔雀はうっかりのりもの広場の豆汽車に轢かれたりしないのかと心配になってしまいました。
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一番高射砲陣地の遺構が残っていそうな、あらかわ遊園東端のしばふ広場。
しかし芝生養生中のためか、広場の真ん中あたりが柵を立てられ入れないようになっていました。
さらには誰かが魚つり広場の釣り堀で釣ったのを捨てたのか、芝生の中にヘラブナらしき魚の頭部が落ちていて、それにコガタスズメバチが取り付いていてとても近寄れませんでした。
最近、町中にもスズメバチが多くなってきたような気がします。
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最後は飛行機の形をした大きな遊具のあるちびっこ広場。
ざっと園内を周回してみましたが、遊園地内に高射砲陣地の遺構はなさそうな感じです。
ちなみに高射砲陣地となった荒川遊園は戦後、管理するものがおらず荒廃してしまいましたが、昭和25(1950)年に荒川区立のあらかわ遊園が開園し、現在に至っています。
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のりもの広場の回数券もなくなったので、あらかわ遊園を出て都電荒川遊園地前停留場の方に帰ります。
娘との帰路の途中、左手の生活道路にレンガ造りの塀が並んでいるのが見えました。
かなり古いレンガ塀のようで、さらには複数の住戸と道路を隔てていることから、このレンガ塀はかつてここにあった大規模施設のためのレンガ塀であると推測できます。
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このレンガ塀は、大正11(1922)年に開園した民営遊園地「荒川遊園」の境界塀と言われています。
明治5(1872)年に作られた広岡煉瓦工場というレンガ工場の跡地に開園した民営の荒川遊園は、開園の際レンガ工場に残存していたレンガを使って荒川遊園を囲う境界塀を構築したという。
この民営の荒川遊園は、昭和初期に第二次世界大戦の影響で閉園していますが、その民営荒川遊園時代のレンガ塀が今も残り、住宅地と生活道路を隔てるレンガ塀として現在も利用されています。
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古いレンガ塀ですが、塀の真ん中に位置する中帯を境に、レンガの古さや積み方が違っています。
比較的新しそうな上段は長手積み、歴史のありそうな下段は小口積みと長手積みを一段おきに積み重ねるイギリス積みですね。
中帯からもレンガが顔を覗かせており、この中帯が当初の塀の笠であり、上段のレンガは後から積まれたもののようです。
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荒川区役所のホームページに旧荒川遊園の『入り口跡』として紹介されている、レンガのアーチがあるところ。
しかし、当時の日本人がいかに身長が低かったとはいえ、ちょっと入り口としては小さすぎではないでしょうか。
民営時代の荒川遊園は、主要施設が温泉大浴場や演芸場、料亭などの大人が寛ぐ施設だったとのことですが、これで入れたんでしょうかね。
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そのまま小台橋通り方向へ歩いていくとレンガ塀は角を曲がり、旧荒川区立小台橋小学校の方までずっと延びていました。
2018年6月18日に発生した大阪北部地震では、小学校のブロック塀が崩落して塀沿いを歩いていた小学生が亡くなるといういたましい事故が起こりましたが、このレンガ塀は大丈夫でしょうか。
このレンガ塀が大正11(1922)年に構築されたものなら、その翌年に発生した関東大震災に耐えたレンガ塀ということになるので丈夫といえば丈夫なんでしょうが。
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こちらはレンガ塀のかつて通用門だったと思われる場所ですが、ブロック塀で蓋をされていました。
昔はこの塀が建っているところまでが民営荒川遊園だったわけで、今住宅地となっているところにひょっとしたら高射砲陣地の遺構が残っているかもしれませんが、これでは確認のしようがありませんね。
なお現在の区立あらかわ遊園は、平成30年12月1日から二度目のリニューアル工事のため休園となり、再開は平成33年夏ごろの予定となっています。
区立あらかわ遊園はリニューアルに伴い、旧小台橋小学校の敷地を含めて拡張工事される予定のようですが、このレンガ塀は敷地外ということで特に影響なく、そのまま残されるものと思います。
(訪問月2018年9月)