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新宿区信濃町にある軍事遺跡、陸軍第一師団輜重兵第一大隊跡地を歩いてきました。
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JR総武線に乗って、信濃町駅にやってきました。
信濃町駅前には外苑東通りが南北に走っており、通りを横断した先には慶応義塾大学病院があります。
慶応義塾大学病院の開院は大正9(1920)年と、もうすぐ開院百周年を迎える歴史ある病院です。
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慶応義塾大学病院では2007年5月、ZARDのボーカル坂井泉水さんが入院中に転落死する事故が発生しています。
病棟脇にある高さ約3メートルの非常用スロープから転落してしまい、翌日脳挫傷で亡くなられましたが、その死には当時様々な憶測が飛び交っていました。
坂井泉水さんはもともとあまりメディアに出ず、ミステリアスな印象でしたが、最後の最後までミステリアスなお方だったという印象です。
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そんな慶應義塾大学病院内にある和食レストラン「百花百兆」でランチを摂りました。
息子が食べているのは車型のプレートに盛りつけられたお子さまランチ750円。
円柱状にまとめられたライスには、なぜかポーランドの国旗が立ててありました。
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ここで、明治時代における当地の地図を見てみましょう。
下の方にある中央本線の線路の北側に「輜重兵営」という文字が見えます。
輜重兵とは、部隊の移動に際して食糧、被服、武器弾薬などの軍需品を輸送することを任務とする兵科です。
ここが現在の慶応義塾大学病院にあたる場所ですが、ここには病院ができる以前、陸軍第一師団に所属する輜重兵第一大隊の兵営があったのです。
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輜重兵第一大隊の兵営が信濃町にできたのは、明治21(1888)年のことです。
やがて輜重兵第一大隊は部隊が拡大して兵営が手狭になると、大正5(1921)年に目黒の陸軍騎兵学校が習志野へ移転した跡地へ移転しています。
写真は慶応義塾大学病院と外苑東通りの間に建つ巨大な信濃町煉瓦館ですが、信濃町煉瓦館も輜重兵営の跡地に建っています。
信濃町煉瓦館は、1995年に建てられた煉瓦造りのオフィスビルです。
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信濃町煉瓦館から外苑東通りを北上すると、信濃町煉瓦館の北隣に建つ民音音楽博物館が見えてきました。
ちょうどこの信濃町煉瓦館と民音音楽博物館の境界線が、当時の陸軍第一師団輜重兵第一大隊兵営の軍用地境界線であったと思われます。
民音音楽博物館の南東端の角には、当時の軍用地境界標石が残っていました。
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かなり風化が激しくなっていますが、「陸軍省所轄地」と読める軍用地境界標石。
輜重兵第一大隊の兵営ができたのが1888年のことなので、いまからおよそ130年前の境界標石になると思います。
もはや道祖神といっても差支えないレベルの古さの軍用地境界標石ですね。
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軍用地境界標石の見学後、お隣の民音音楽博物館にも立ち寄ってみたらちょうど自動演奏楽器の演奏時間で、古い柱時計のようなディスク型オルゴールや豪華な自動パイプオルガン、自動再演ピアノブッシュ&レーン等の自動演奏を楽しめました。
気に入った自動演奏楽器の製作年を見ると、だいたい1890~1920年代にドイツやスイスで作られたものばかりで、信濃町に輜重兵営があったのもちょうどその頃です。
見たことのない百年前の世界を想像しながら、当時の人々も聞いたであろう自動演奏楽器の音色を満喫させていただきました。
(訪問月2019年2月)