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埼玉県朝霞市の軍事遺跡、陸軍予科士官学校跡を子供たちとともに歩いてきました。
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現在地は、東京都練馬区と埼玉県にまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地の正門(大泉門)前です。
普段は入ることのできない朝霞駐屯地ですが、この日は「朝霞駐屯地 桜まつり」というイベントで敷地が一般に開放されていました。
駐屯地敷地内には約2000本の桜が植えられているとかで、広い敷地でゆったりと観桜が楽しめます。
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正門を入るとセキュリティチェックがあり、簡単な手荷物検査とゲート型金属探知機の通り抜けがありました。
以前訪れた十条駐屯地にはこういうのなかったんですが、違いはどこにあるんでしょうかね。
セキュリティチェックの近くには、陸上自衛隊のイラク派遣の際に設置されたという「無事蛙」の像が建っていて、カエル好きな子供たちは嬉しそうに弄り回していました。
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駐屯地内は一般開放しているとはいえ、通路の各所には自衛官が立っていたり立入禁止のテープが貼られていたりして、行動できる範囲はかなり制限されています。
こんなところも十条駐屯地とかなり違いますね。
しかしそれでも朝霞駐屯地は敷地面積が909701平方メートルと広大なため、子連れでここを歩いて回るのは一苦労でした。
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駐屯地の駐車場にはたくさんの輸送車両が並んでいました。
朝霞駐屯地内には陸上自衛隊輸送学校も置かれていますが、輸送科は旧帝国陸軍の輜重科に相当するというから、陸上自衛隊輸送学校とは目黒の陸軍輜重兵学校みたいなものでしょうか。
旧帝国陸軍は輜重兵を軽視していたと言われ、そのツケをインパール作戦をはじめとする各戦線で支払うことになってしまいましたが、陸上自衛隊での輸送科の扱いはどうなんですかね。
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子供たちが飯を食わせろと要求するので、駐屯地のど真ん中あたりに位置する厚生センターまでやってきました。
厚生センター内にはファミリーマートや100円ショップ、スポーツ用品店のほか、演習用品店なんていうのもあり、一般人も利用できます。
ファミリーマートも自衛隊仕様になっていて、自衛隊キャラメルや陸上自衛隊クッキーなど自衛隊オリジナルのお土産が豊富にそろっていました。
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そんな朝霞駐屯地がある場所は、太平洋戦争中は陸軍予科士官学校があった場所でした。
陸軍予科士官学校とは陸軍の兵科士官候補生を養成する軍学校で、ここを卒業した生徒は陸軍士官学校へと進む予定となっていました。
陸軍予科士官学校はもともと市ヶ谷にありましたが、日中戦争の影響で生徒が増えて手狭になったこと等により太平洋戦争開戦直前の昭和16(1941)年9月、もともとは朝霞ゴルフ場があったここ朝霞ヶ原に移転してきたのです。
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朝霞駐屯地正門の近くには、そのことを知らせる昭和19(1944)年建立の「振武台碑」という石碑が建っています。
昭和18(1943)年12月9日、当時の大元帥昭和天皇が陸軍予科士官学校を行幸した際、この地を「将来益々 武を振るわい 八紘一宇の為をなせ」といった意味から「振武台」と命名しました。
市ヶ谷にあった陸軍士官学校が「市ヶ谷台」と呼ばれていたのに倣い、軍学校を「相武台」「修武台」「若松台」など「~台」がついた愛称で呼ぶのが当時の慣例だったそうです。P_20190330_120014
太平洋戦争末期、帝都は全域にわたってB-29による空襲を受けましたが朝霞の予科士官学校はあまり爆弾を落とされなかったそうで、これはアメリカ軍が大日本帝国の降伏後陸軍予科士官学校の施設を駐屯地として利用する計画を立てていたためだった言われています。
事実大日本帝国の降伏後、陸軍予科士官学校は接収されて米軍キャンプ・サウス・ドレイクとなり、アメリカ陸軍の第一騎兵師団司令部が進駐し米軍管理地となりました。
やがてアメリカ陸軍第一騎兵師団が朝鮮戦争へ派遣されると、昭和35(1960)年3月当地に自衛隊の朝霞駐屯地が開設されて現在に至っています。
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振武台碑の裏側には黒いプレートの銘板が設置されており、銘板には昭和19(1944)年4月に書かれた「振武台碑記」と振武台と陸軍予科士官学校との関連を記載した「振武台由来文」が刻み込まれています。
振武台碑記はもともと振武台碑の裏面に刻まれていたものですが、風雨に曝されて判読できなくなってしまったので、平成12(2000)年自衛隊関係者の手によりこの銘板に復元されています。
自衛隊は日本国憲法上軍隊ではありませんが、やはり旧日本軍とは切っても切れない関係にありますね。
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各地の自衛隊駐屯地においては、桜が咲くころにこうした桜まつりが行われ一般開放されるイベントが多いようです。
なお旧日本軍においても桜は好まれ「歩兵の本領」「同期の桜」などといった軍歌・戦時歌謡の歌詞には桜がよく使われ、また桜の意匠が軍の徽章などにも積極的に使用された他、太平洋戦争末期には「桜花」という特攻兵器の名前にもなっています。
パッと咲いてパッと散る様が美しい、潔いと言われ日本人に好まれる桜ですが、そんな美意識が戦時における極端な人命軽視や無謀な玉砕、凄惨な集団自決に繋がった可能性を思うと、複雑な気持ちになりますね。
(訪問月2019年3月)