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新潟県長岡市塚野山にある歴史的建造物、長谷川邸を歩いてきました。
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かつてこの屋敷を所有していた長谷川家は、近世初期以降この地に居を構え、村の開発に貢献して代々村里として世襲庄屋を勤めてきた旧家です。
近代では塚野山郷の山村地主として栄え、近郊四ヶ村の耕地や山林の七割を独占した豪農でした。
豪壮な屋敷構えや内装からは、当時の長谷川家の繁栄っぷりがわかります。
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さて、突然ですがこのゲームをご存知の方がいらっしゃるでしょうか。
このゲームは「晦‐つきこもり‐」というタイトルでパンドラボックスが製作し、1996年3月1日にバンプレストが販売したスーパーファミコンのゲームです。
画面に表示される文章を読んでいき、途中で現れる選択肢を選んで話を分岐させるサウンドノベル形式のホラーアドベンチャーゲームでした。
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ゲームの内容は、祖母の七回忌において、旧家である祖母の家に集まった七人の親族が語る怪談を聞く、というもの。
ゲーム中では七回忌に七つの怪談をすると死者が甦るとされ、私はこのゲームをプレイして、古い家に七人で集まって夜通し怪談をする、ということに強い憧れを抱くようになりました。
未だにその夢は達成されておりませんが、しかし上の写真の通り、「晦」のロケ地である長谷川邸に今回行くことができました。
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というわけで現在地は長岡市塚野山、長谷川邸の長屋門形式の表門前に子供たちとともにやってきました。
魚沼街道に面する長谷川邸は、間口約70m、奥行約120mの広大な屋敷地を有す越後の豪農の館です。
周囲は堀と土塁で囲まれ、この表門か裏門からしか屋敷地に入ることはできません。
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表門をくぐると、正面に寄棟造り・茅葺屋根の大きな主屋があります。
主屋は1706年の塚野山の大火で焼失した後、十年後の1716年にはほぼ完成したと伝えられており、県下でも民家としては最古に属する木造建築物です。
左の道の先に破風造りの玄関がありますが、受付のある正面の土間の方から入っていきます。
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ちなみに長谷川邸訪問時は強い雨が降ってきて、遠くでは雷が鳴っていました。
うん、いいぞ。
怪談に雨や雷はつきものですね。
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受付を通ると、正面は昔の怖い話なんかで舞台になりそうな広い土間になっています。
土間は薪など燃料の置き場として、また年貢米を受け入れて備蓄した場所としても使われたようです。
正面に見えるかまどは調理用のものでなく、お風呂のお湯を専門に沸かしたものでかなり大きいです。
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土間の左側にはまず玄関の間があり、靴を脱いで上がります。
玄関の間には巨大な少年漫画「るろうに剣心」の掛け軸がありました。
ここは長岡市に編入される前は越路町でしたが、旧越路町は「るろうに剣心」の作者和月伸宏の出身地で、この掛け軸は2016年に長谷川邸で和月伸宏里帰原画展をやったときのものだそうです。
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玄関の間に続いて二の間があり、その先には京間造りの上段の間があります。
ちょうど夜中に複数人で怪談をするには良さそうな、主屋の端っこの寂しげな場所ですね。
などと思っていたら、「古くは上級役人が通された間だった」と説明に書かれていました。
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上段の間の先にはこれまた怪談で使われそうな上便所がありました。使用はできません。
使用方法は取っ手のついた便器の蓋を外して、右を向いて座ります。
その場合背面に来るでっぱりは、着物の裾をかけて汚さないようにする場所だそうな。
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こちらは主屋の中でも中心的な場所になるだろう「茶の間」。
中央に囲炉裏があり、床は板張りで歩くとギシギシときしみます。
茶の間なのに、畳敷きではないんですね。
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長谷川邸でかつて使用されていた二台の扇風機。
いずれも製造年は不明なるも、左の扇風機は芝浦製作所製となっており、昭和14(1939)年に芝浦製作所と東京電気が合併し「東京芝浦電気株式会社」となったことから、それ以前に製造されたものと推測されています。
今の扇風機とほとんど変わらないことに驚きです。おそるべし大日本帝国。
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1793年に新たに作られた新座敷と、渡り廊下で繋がっている井籠蔵(せいろぐら)。
井籠蔵とは、木材を井桁状に積み重ねて四面の壁とした建築構造の蔵です。
寒地では凍結・剥落のおそれのある土壁よりも板壁の方が耐久性があるという。
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井籠蔵の模型。参考です。
こんな感じに造られているそうです。
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主屋の裏側も庭になっていて、中央に井戸屋形を配し、堀に沿うようにして複数の蔵や小屋が建っています。
写真左から井籠蔵、帳蔵、保存小屋、新蔵、そして新蔵の後ろに裏門です。
保存小屋を除いてこれらの建造物は主屋、表門、新座敷とともに重要文化財に指定されています。
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新蔵の隣には、長谷川家収蔵品展示室が建っています。
収蔵品展示室は写真撮影禁止ですが、展示品に目を見張るものとして、長岡市出身の連合艦隊司令長官、山本五十六の書と手紙がありました。
手紙は昭和18(1943)年、山本五十六が長谷川赳夫の妻 初の訃報を知ったとき、赳夫宛に戦地から出したものと思われ、この手紙を出した約一か月後の4月18日、山本五十六は一式陸上攻撃機に搭乗して前線を視察中のブーゲンビル島沖で米軍機の待ち伏せにあい、交戦の末に乗機を撃墜されて戦死。
以後、大日本帝国は敗北への道をひた走ることになります。
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ちなみに収蔵品展示室は写真撮影禁止ですが、展示室手前に長谷川邸をロケ地として使用した映画など縁のある作品の紹介コーナーがあり、そこは写真撮影がオッケーになっています。
マイナーSFC「晦」の紹介もあるかと血眼になって探しましたが、残念ながら当然のようにありませんでした…。
しかしまあ、子供のころプレイしたゲームのロケ地を歩くという自分の人生の目標をまたひとつ達成できて、私は満足です。
(訪問月2019年8月)