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練馬区豊玉北にある戦争遺跡、陸軍鉄道連隊E18蒸気機関車を見学してきました。
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西武池袋線江古田駅から南に徒歩約6分、江古田通り豊玉上一丁目交差点近くの住宅街に、突如として現れる戦争遺跡。
エリエイという株式会社の正面のちょっとくぼんだ場所に、小さな蒸気機関車が入り込んでいます。
風景に溶け込んだ自然な形で静態保存されているので、それと知らなければうっかり目の前を通り過ぎてしまいそうです。
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この蒸気機関車は、旧日本陸軍鉄道連隊で使用されていた機関車「陸軍鉄道連隊E形蒸気機関車」です。
なんでこんなところにそんな機関車が?
とも思いますが、このマンションの一階には鉄道雑誌の出版社があり、その会社の所有物としてここに保存されているのです。
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E形蒸気機関車は陸軍鉄道連隊で使用する野戦軽便鉄道用機関車として、旧陸軍省がドイツのコッペル社に発注し、大正(1921)年に25両、大正14(1925)年に6両が輸入されました。
E形蒸気機関車は軌間600mmの小型蒸気機関車であり、飛鳥山公園などに展示されている蒸気機関車D51などに比べると、かなり小さいです。
鉄道連隊では戦地で素早く輸送力の大きな鉄道を輸送、敷設、撤去するために、600mm軌間の機関車とレールと枕木を組み上げたハシゴ状のものを使用する軍用軽便鉄道が導入されていました。
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車両を囲う柵に取り付けられた解説文です。
日清戦争後、占領地への軍需物資輸送を円滑にする必要性から生まれた陸軍鉄道連隊は、主に広大な中国大陸において鉄道・軽便鉄道を建設し軍需物資の輸送に当たりました。
E形蒸気機関車は野戦軽便鉄道として、大半は満州に配備されていましたが、第二次世界大戦の敗戦の混乱によってそのほとんどが消息不明となっています。
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太平洋戦争の敗戦を千葉市の兵器補給廠で迎えたE18蒸気機関車は、その後西武鉄道に引き取られて、昭和22(1947)年から入間川の砂利採取線で同型のE16、E103とともに使用されています。
活躍は1950年代で終了しましたが、河原に廃車体として長年放置された後、1971年に所沢市のユネスコ村でE103とともに保存展示されるようになりました。
1990年にユネスコ村が休園となると居場所を失ったE18は、株式会社エリエイ出版部に引き取られてこの場所に移設保存されるようになり、大井川鉄道での外観修復を経て現在に至っています。
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かなり狭いE形蒸気機関車の運転席。
今の日本人の体格では、ここに長時間留まって操作し続けるのはかなり難しいと思われます。
もっとも、昔の日本人の体格でもこの狭さに居続けるのはきつかったでしょうが…精神力でカバーしていたのでしょうか。
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E18蒸気機関車の側面には、復元された陸軍鉄道連隊の部隊徽章がついています。
広大なアジア・太平洋地域を戦場とした第二次世界大戦において、次々と拡大していく戦線への補給に大きな役割を果たした陸軍鉄道連隊。
そんな陸軍鉄道連隊の野戦軽便機関車の生き残りが、今も江古田の街中にぽつんと佇み、当時の姿を伝えています。
(訪問月2019年9月)