7
江戸川区小松川三丁目にある戦争遺跡、旧江戸川区役所文書庫を見学してきました。
9
江戸川区の小松川さくら公園にやってきました。
小松川さくら公園は江戸川区のコミュニティセンター、小松川さくらホールに隣接する小さな公園です。
この公園には昭和20(1945)年3月10日に発生した東京大空襲で被災した戦争遺構が保存されています。
6
現在の小松川さくらホールと小松川さくら公園がある一帯は、明治11(1878)年に成立した南葛飾郡の郡役所がかつてあったところです。
昭和7(1932)年に東京市と周辺五郡が合併して東京35区が誕生すると、南葛飾郡役所の庁舎はそのまま江戸川区役所になりました。
しかし昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲で江戸川区の小松川地区は大きな被害をだし、江戸川区役所も火炎に包まれ全焼しています。
1
全焼した旧江戸川区役所の跡地である小松川さくら公園に、鉄筋コンクリート造り2階建ての建物が建っています。
灰色の無骨なこの建物は、大正13(1924)年に南葛飾郡役所の倉庫として建てられたものでした。
当時としては珍しかったという中村式コンクリートブロック建築で、旧江戸川区役所となってからは戸籍書類等の行政文書を収める文書庫として活用されていたという。
3
旧江戸川区役所文書庫の側面は正面に比べ火災による被害の痕が痛々しいです。
旧江戸川区役所は焼失後、第七高等女学校にて業務を行っていましたが、敗戦後の昭和23(1948)年に中央一丁目の現在地に新築移転しています。
焼失せず残された旧江戸川区役所文書庫は、一時期人が住んでいたこともあったそうですが、その後しばらく放置されていたそうです。
4
建物裏側には唯一の入口がありますが、特定の時期以外は内部を見学することはできません。
鉄筋コンクリート造りの建物であっても焼夷弾による火災旋風には抗えず、建物内部の壁は真っ黒に焼け焦げているという。
大空襲の際には、2名の当直職員が20個の麻袋に詰められた戸籍簿等重要書類を炎の中から運びだし、庁舎脇の用水路に沈めて守ったと言われています。
5
文書庫の陰に隠れるようにして、ぼろぼろになった煉瓦積みも残っていました。
この煉瓦積みも旧江戸川区役所の基礎部分だそうで、焼け焦げたような跡が残っています。
耐火性のあるレンガ、よほどの火勢でないとこうはならないと思いますが、いったいどれほどの猛火だったんでしょうか。
2
そうと知らなければうっかり通り過ぎてしまうような、目立たない戦争遺跡の旧江戸川区役所文書庫。
敗戦と区役所移転によって存在を忘れられていた旧江戸川区役所文書庫が、当時の職員によって発見され文書庫だと確認されたのは東京大空襲からなんと37年の歳月が過ぎた昭和57(1982)年のことでした。
文書庫の脇には「世代を結ぶ平和の像」が、戦争の惨禍を忘れないようにと建立されています。
(訪問月2020年1月)