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静岡県静岡市清水区三保の軍事遺跡、清水海軍航空隊跡を歩いてきました。
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子供たちを連れて、三保半島の景勝地「三保の松原」にやってきました。
三保の松原はユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産です。
富士山の世界文化遺産登録の際は、富士山から45キロメートル離れている三保の松原が富士山の構成資産になるのかどうかで問題になりました。
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「三保の松原」地帯の東端には、白亜の清水灯台が建っています。
灯台としては小さめのもので、塔頂には三保松原の羽衣伝説にちなみ、羽衣をまとって宙を舞う天女の風見鶏がついています。
清水灯台は明治45(1912)年に設置された日本最初の鉄筋コンクリート造灯台で、近代化産業遺産に認定されています。
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清水灯台の北側は、海岸沿いに細長く広がる清水三保海浜公園となっています。
天気が良ければ、ここから駿河湾越しに富士山の全景を望むことができます。
残念ながら訪問時は、富士山の眺めがよくなかったですが…
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三保灯台通りから公園駐車場へ入る入り口近くに、鳩を胸の前に抱えた青年の像が建立されています。
この像は「甲飛予科練之像」という、かつてこの地に置かれた清水海軍航空隊の記念碑です。
「甲飛予科練」とは太平洋戦争中、帝国海軍航空隊に入隊した甲種飛行予科練習生のことで、旧制中学三年生から志願により選抜されました。
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「甲飛予科練之像」記念碑の碑文。
大平洋戦争も後期の昭和19(1944)年9月1日、戦局の悪化による航空兵の不足から、航空兵の早期養成を目的として清水海軍航空隊がここ三保の地に開隊されました。
清水海軍航空隊に飛行機の配備はなかったものの、グライダーによる滑空訓練が行われていたようです。
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「甲飛予科練之像」から三保灯台通りを挟んだ向かい側には焼肉センターという名前の焼肉店があり、その裏側は雑木林になっています。
トタンの建物と建物の間に雑木林へと繋がる小道があり、雑木林の前に二つの今は使われていない門柱が残っています。
この門柱は清水海軍航空隊の裏門の門柱と言われています。
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清水三保海浜公園から、今度は松並木の堤防遊歩道を南へ歩いていきます。
三保の松原の松も、総力戦だった太平洋戦争とは無関係ではいられませんでした。
日本軍は戦争末期、不足した航空機燃料を補うため各地の松を伐採して松根油を採取しましたが、三保の松原の松もかなりの数が伐採されてしまったという。
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堤防遊歩道を500メートルほど南下した後、西側に展開する住宅地内に入っていくと、左手に廃屋のような木造平屋建ての建物が見えてきます。
この建物は、清水海軍航空隊の炊事場だったと言われています。
戦後に米軍が撮影した空中写真を見ると、このような木造平屋の建物がこの辺りに建ち並んでいたことがわかります。
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建物の基礎や窓に当時の面影を残しているという清水海軍航空隊の建物。
内部は改装されたそうですが、地中からボットン便所に見られる臭突がにょきっと伸びています。
窓も封鎖されているし、今はもう使われていないように見えます。
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予科練習生2700名が航空兵を目指して、日夜厳しい教育と訓練に明け暮れた清水海軍航空隊。
しかしすでにこの頃帝国海軍は戦局の悪化から充分な飛行機を揃えることができなくなっており、清水海軍航空隊での教育もやがて水上・水中特攻訓練へと変わっていきました。
結局、練習生で飛行機に搭乗する機会を得た者はおらず、清水海軍航空隊は昭和20(1945)年6月30日に解隊、その後練習生たちは本土防衛のための陣地構築や特攻訓練に明け暮れる中で敗戦を迎えています。
(訪問日2020年2月)