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静岡県静岡市清水区三保の軍事遺跡、海軍第136震洋隊基地跡を歩いてきました。
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前回の東海大学海洋科学博物館のすぐ南側に位置する、三保内浜海水浴場にやってきました。
三保内浜海水浴場は三保半島の内側にあり、波が穏やかで静かな海水浴場です。
しかしこの海水浴場の周辺には、穏やかならぬ太平洋戦争の戦争遺構が残っていることで知られています。
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三保内浜海水浴場の南側には、いくつかのコンクリート製壕が点在しています。
松の木の向こうには、全面コンクリートで堅牢に作られた、全長約25メートルの壕があります。
壕口がベニヤ板で封鎖されていますが、この壕はもともと太平洋戦争中に構築された船艇格納庫だったと言われています。
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そこから南へ海岸線を歩いていくと、三保マリーナ近くにも同様のコンクリート製壕が見られます。
これらの壕は太平洋戦争末期の昭和20(1945)年6月ころに構築された、特攻艇「震洋」を格納する予定だった壕です。
特攻艇「震洋」とは、長さ6メートルのベニヤ板製モーターボードで、350キログラムの爆弾を積んで敵艦に体当たりする帝国海軍の特攻兵器でした。
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この格納庫は現在、三保マリーナの倉庫として使われているようです。
手前のトタン屋根は戦後に取り付けられたものと思われます。
壕の入り口にはアルミ製の扉みたいなのが見えます。
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近くの柵には静岡平和資料館をつくる会による解説板が取り付けられています。
解説板によると、これら格納庫を構築したのは予科練の若者たちとなっていますが、この予科練習生とは以前取り上げた清水海軍航空隊の練習生たちのことのようです。
飛行機のなかった清水海軍航空隊の練習生たちは、敗戦間近の昭和20(1945)年6月1日に予科練教育が凍結されると、これら震洋の格納庫を構築する作業に従事することになりました。
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三保マリーナから三保灯台通りに出て100メートルほど北上すると、道路西側に同じく震洋の格納庫が残っています。
道路と同化し、三保灯台通りから見ると半地下のようになっている格納庫。
これは戦後にできた三保灯台通りがもともとの高さより高い位置に造られたためでしょうか。
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中を覗いてみると、内部は物置みたいな感じになっていました。
付近にある住宅の方が使われているのでしょうか。
コンクリートの分厚さが物々しいですが、350キログラム爆弾付きの特攻艇を格納するにはこれでも不十分だったでしょうね。
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半地下の格納庫から三保灯台通りを450mほど南下していくと、これまでの格納庫よりも大きな壕が左手に見えてきます。
この壕も震洋の格納庫と言われており、現在は土木会社の車庫として使われているようです。
これまでの格納庫よりも内陸にあり、しかも大きいのでちょっと特殊な感じがあります。
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トラックを丸々一台入れてもまだ余裕があることから、その大きさがわかりやすい格納庫。
これら震洋の格納庫は戦争に活用されることはなく、22隻必要だった「震洋」は結局5隻程度しか配備されず、それも使われることのないまま終戦を迎えました。
もっとも、ただ殺されに行くだけにしか思えないようなこの決戦兵器、格納庫が有効活用されなくてよかったと言えるのかもしれませんね。
(訪問月2020年2月)