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中野区本町にある寺院、成願寺の防空壕を歩いてきました。
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子供たちを連れて、中野区の仏教寺院・多宝山成願寺にやってきました。
成願寺は東京メトロ丸の内線中野坂上駅から山手通りを約350m南下したところに位置しています。
このお寺は今から約650年前の室町時代、中野長者と呼ばれた鈴木九郎が開創した寺と伝えられています。
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境内には史跡・中野長者鈴木九郎長者塚があり、その隣には中野長者鈴木九郎ものがたりを紹介する案内板があります。
室町時代にこの地にやってきて商売に成功し、財を成して「中野長者」と呼ばれた鈴木九郎は、今の成願寺があるこの付近に邸宅を構えていました。
しかし九郎の一人娘が18歳で病死すると、九郎は仏門に生きる決意をして邸宅を寺院に変え、これが成願寺の始まりになったという。
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そんな成願寺本堂の裏手にある小山には、太平洋戦争中の防空壕が残っています。
サイパン島が陥落し日本本土が空襲に晒されるようになった大平洋戦争後期の昭和19(1944)年に構築されたものだそうです。
防空壕入口は本堂の脇から細い通路を抜けた先というわかりにくいところにあり、また入り口は施錠されていて見学には事前連絡が必要です。
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長さ約30m、高さ約2mという、民間が造ったものとしてはとても立派な防空壕です。
また爆風対策でしょうか、壕はジグザグ状になっていて微妙に奥が見通せなくなっています。
地中深い位置にあるのでしょうか、壕内はひんやりとしていて心地よかったです。
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防空壕が掘られた小山の土はもろく、土砂が崩れ始めたため平成12(2000)年に補強工事が行われています。
そのため壕の壁面はすべてアーチ型の鉄板によって覆われていますが、これは案内してくれたお坊さんによると地下鉄の工事に使われるものだそうです。
その補強工事に際しどうしても穴を広げなければならなかったそうで、防空壕はもともともっと小さい穴だったという。
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アーチ型鉄板の合間合間には、木の皮で封鎖された四角い小さな穴があります。
お坊さんによると、補強工事当初ここには仏像を置く計画があったそうです。
しかし土がもろいことに加え上から地下水が染み出してきてしまうので、結局使われることなく封鎖されることになったとのこと。
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こちらは木の皮で封鎖したものの、崩れてきた土によって木の皮が取れてしまった箇所です。
むき出しの赤土から、木の根っこが顔を覗かせています。
地下水が染み出してしまい湿度が高かったため、これも仏像を置けなかった理由であったそうです。
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30メートルほどに渡って続く壕の真ん中には、コンクリートに囲まれた6畳間ほどの小部屋があります。
この場所は空襲に備えて成願寺のご本尊や過去帳等、大切なものを保管する場所だったとお坊さんが言ってました。
造成当初の防空壕はこのような部屋がいくつかあり、本堂や風呂、トイレも備えた本格的な設備だったそうです。
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成願寺は空襲によって堂宇や仏像が全焼してしまったものの、ここに保管されたご本尊や古文書の一部は守られたという。
また戦時中防空壕は近隣の住人たちの避難所としても活用され、空襲のたびに逃げ込んできた数多くの人々の命を守りました。
成願寺防空壕は現役の防空壕で、成願寺には幼稚園がありますが、今でもいざというとき園児100人が3日は過ごせるようにと、水と食料(乾パン)が用意されています。
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なお訪問に際して、子供連れということを事前に伝えていたためか、中野長者に関する絵本やお菓子などをいただきました。
さっそくその夜子供たちに絵本を読んで聞かせました。
お忙しい中にも関わらず、時間を取って対応していただきありがとうございました。
(訪問月2020年5月)