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千葉県館山市宮城の軍事遺跡、館山海軍航空隊赤山地下壕跡を歩いてきました。 
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現在地は館山市の軍事遺跡、館山海軍航空隊宮城掩体壕前です。
掩体壕は飛行機を敵の爆撃から守るもので、この掩体壕は分厚いコンクリートで造られた強固なものです。
この近くには館山海軍航空隊と洲ノ埼海軍航空隊があり、特に館山海軍航空隊は帝都防空の実戦航空部隊だったことから宮城周辺にはいくつもの掩体壕が造られました。
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掩体壕から北へ300mほど歩いた切通しの切り立った崖には、いくつかの封鎖された壕口が見られます。
この壕口は館山海軍航空隊が構築した地下壕「館山海軍航空隊赤山地下壕」跡であるとされています。
赤山地下壕は通称「赤山」と呼ばれる小高い岩山をくり抜いて造った総延長1.6kmに及ぶ巨大な地下壕でした。
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赤山の北側麓には豊津ホールという館山市の公民館があり、ここで手続きをすると赤山地下壕跡に入壕することができます。
豊津ホールで入壕料200円を支払って受付し、ヘルメットと懐中電灯を受領しての入壕となります。
赤山地下壕の訪問は2度目で、今回は洞窟探検好きな子供たちを連れての入壕です。
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一般公開されている赤山地下壕の壕口は豊津ホールの南側にあります。
岩山に生い茂る草木に空いた黒々とした壕口に立つと、冷たい靄が漂ってきて肌寒く、暑い夏場にも関わらず長袖の服を羽織りました。
以前春に訪問した際は寒かったという印象がなかったのですが、夏場に訪問するとより気温差を感じてしまうのかもしれません。
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子供たちは自転車用のものと思われる水色のヘルメットを装着しての入壕です。
昭和5(1930)年、帝国海軍5番目の実戦航空部隊として開隊した館山海軍航空隊が構築したという赤山地下壕。
壕口を入ると早速目の前は、自力発電所があったという地下壕になっています。
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自力発電所跡は壁面がコンクリートで補強され、各所にコンクリートの土台や鉄筋が残るなど特徴的な地下壕になっています。
昭和20(1945)年2月に館山海軍航空隊基地正門前の変電所から設備を移転して使用されていたという。
ここには4気筒200馬力のディーゼルエンジンが2台、発電機2台、変圧器9個があったそうです。
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自力発電所跡の地下壕には一部壁面が窪んでいる箇所があります。
この窪みは変電所電気員の待機所といわれ、右側の浅い窪みには2段ベッドがあり、10人くらいが交代勤務をしていたという。
赤山地下壕内には職種ごとに居住区があったらしく、木の棚のベッドが置かれていたそうです。
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自力発電所跡の先は、掘り出された地層になだらかな美しい縞模様が見られる坑道になっていました。
赤山地下壕はその全体像として、南北に伸びる幅の広い地下壕がいくつも並列し、壕と壕の間は東西に走る坑道で連結されています。
一般公開で立ち入りできるのはこの坑道で、各種事務が行われていた大きな地下壕は立ち入り禁止になっています。
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こちらは天井が高く幅の広い大きな壕で、坑道からはこのような地下壕が見学できます。
この地下壕は用途は不明ですか、その天井の高さから工作科の格納庫として使用されたものかもしれないと傍らの解説板に書かれていました。
赤山地下壕は構築年が不明なものの、地下壕同士の間の距離が5~10mと狭い(普通は10~20以上、長野の松代大本営は25m)上に、計画的に造られたものとは考えにくく、その造りから見て太平洋戦争の敗北がほぼ決まった昭和19(1944)年より後に構築されたのではないかと考えられています。
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こちらは先ほどの地下壕より規模の小さい壕で、当時を知る人の証言から応急治療所だったのではないかと考えられています。
当時は金属の2段ベッドがあり、症状の軽い患者が治療対象だったようです。
空襲で被弾した兵士も治療を受けていたそうですが、重傷者は横須賀海軍病院に搬送されていたという。
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こちらは赤山地下壕の公開地区の最奥付近にある、士官の大部屋・ガンルーム(士官次室)だったという証言のある部屋。
奥の四角く切った大きな窪みは、御真影を安置する奉安殿で桧の板張りだったという。
空襲の際に館山海軍航空隊基地から御真影を移した場所で、当時御真影を守るのは少尉クラスの士官の任務でした。
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太平洋戦争の敗戦後は忘れられた存在となり、昭和30年頃からはキノコ栽培の場として使われていたという赤山地下壕跡。
壕内にはそのときに設置されたという風呂やボイラー、コンクリートブロックなども残されており、軍事遺跡ですが生活感も漂っていました。
赤山地下壕跡は壕壁が滑らかで、壕床も平坦と子供たちを野放しにしても怪我をするおそれが少ないこと、洞壁に見られる地層の縞模様がとても美しいこと、キノコ栽培に使われたことで若干ののんびりした生活臭があることなどから、沖縄の壕などと違ってあまり戦争の悲惨さを感じさせない、ファミリー向けな地下壕と言えるのかもしれません。
(訪問月2020年7月)