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埼玉県さいたま市大宮区の刑場跡、下原刑場跡を歩いてきました。
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京浜東北線に乗って、帝都・東京から埼玉県の中心地・さいたま新都心へとやってきました。
さいたま新都心駅は、2000年4月1日さいたま新都心の街びらきに先駆けて開業した駅です。
駅東口を出ると、旧中山道を渡す人道橋上から駅前ショッピングモール「コクーンシティ」が見えました。
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訪問日は2020年のクリスマス間近であり、子供たちのクリスマスプレゼントを買いにコクーンシティにやってきたのです。
コクーンシティ内の要所に設けられた巨大なクリスマスツリーを見て喜ぶ子供たち。
いつもこの時期はイルミネーションを見に出かける我が家ですが、2020年は新型コロナウイルスの影響で中止やオンライン開催が多くなってしまいました。
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コクーンシティは片倉工業株式会社大宮製糸所の跡地にできた商業施設で、今も同社が施設の管理等を行っています。
「コクーン」は「繭」の意で、これは片倉工業が製糸業として創業したことに由来しているという。
コクーンシティの一角には、片倉工業株式会社の記念樹「こぶし」が植樹されていました。
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歴史を紐解いていくと、片倉工業の大宮製糸所は明治34(1901)年、現在の長野県岡谷市を発祥とする片倉製糸によって当時の大宮町仲町に開設されました。
製糸所は大正5(1901)年になると仲町からここ吉敷町に移転してきて、それは78,000坪もの敷地を有する広大な製糸所だったという。
アジア・太平洋戦争に敗北した昭和20(1945)年には、GHQが一時この大宮製糸所を接収し、占領政策を行う埼玉軍政部を設置していました。
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片倉工業がこの場所に製糸所を設置する以前は牧場だったそうですが、さらに時代を遡った江戸時代においては、この地は「下原刑場」と呼ばれる罪人の処刑場だったと言われています。
当時一面の原野で、中山道大宮宿の南方に位置する下原刑場では、主に武蔵国の罪人の処刑が行われていたという。
コクーン1から旧中山道を南東へ約100m歩いたところには、下原刑場の面影を残すと言われる祠が残っています。
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小さな祠内には二体の石仏が祀られています。
右の石仏が「お女郎地蔵」で、左の石仏が「火の玉不動」と呼ばれる石仏です。
下原刑場では火付盗賊改方の長谷川宣以に捕らわれた盗賊団、神道徳次郎とその手下が獄門にかけられたという記録が残っていますが、それに関連する石仏です。
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右のお女郎地蔵は当時の大宮宿の女郎姉妹の姉、千鳥を供養するもの。
借金を抱えていたため旅籠・柳屋で女郎をしていた千鳥は、材木屋の若旦那と恋仲になり結ばれるところでしたが、そこを運悪く悪党の大盗賊・神道徳次郎に見初められ身請けを求められてしまう。
何が何でも千鳥を身請けすると、恫喝したりしたり宿に火をつけると迫る大盗賊に、世話になった宿に迷惑はかけられないと思い余った千鳥は高台橋から身を投げてしまい、そんな千鳥を哀れに思った近くの人がお女郎地蔵を建立したという。
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その後、高台橋付近で火の玉が目撃されるようになり、人々はこれを身投げした千鳥の霊ではないかと噂した。
ある男が真偽を確かめようと松の陰に潜んでいると、谷間から火の玉が現れたのでこれを斬りつけた。
すると「ギャー」という声がしてそこには物凄い形相の男が立っていて、「俺は不動明王だ。お前に剣を切り落とされた」と言って消えてしまった。
この話を聞いた村人が翌日見に行くと、高台橋付近に怖い顔をした石の不動明王がいたが、なるほど剣をもっていなかったので、以来火の玉不動と呼ばれるようになったという。
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祠の裏側には、さいたま市教育委員会の設置した「鴻沼(高沼)用水と高台橋」の解説板があります。
ここには、北袋町と吉敷町の境を流れる鴻沼(高沼)用水に架かる橋が高台橋、と書かれています。
千鳥が身投げした高台橋とは、旧中山道と高沼用水の交差地点に設けられた橋だったようです。
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祠のすぐ西横には旧中山道が走っており、その先にはさいたま新都心駅のホームが見えます。
案内板を読んでいくと、高沼用水は旧中山道から東側は暗渠になっているが、西側は水の流れを見ることができると書かれています。
西側というと、写真奥側、旧中山道から見てさいたま新都心駅側になります。
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旧中山道を横断し、さいたま新都心駅ホームを見てみると、ホームの下を流れていく用水路が見えました。
まるでペニーワイズでも出てきそうな黒々とした水路ですが、これが高沼用水のようです。
中山道上からでは全く気づきませんでしたが、この場所が、千鳥が身投げしたという高台橋だったというわけですね。
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旧中山道の東側は高沼用水の暗渠になっていて、きれいに整備された遊歩道が続いています。
江戸時代、高台橋傍らには刑場があり、高沼用水の河原で罪人が斬られていたという。
江戸時代の処刑場跡地とか言うと、江戸三大刑場みたいに心霊スポット化してしまいそうですが、開発で周辺が明るすぎるせいかそんな気配は感じられませんでした。
(訪問月2020年12月)