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台東区三筋の戦争遺跡、東京大空襲焼け残り電柱を見学してきました。
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台東区三筋の住宅地の中に突然現れる、黒焦げになった木製の電柱。
電柱は高さが3メートルくらいの中途半端なもので、片側がざっくりと欠けていて黒々とした内部から金具が飛び出しており、一見して大きな火災によって焼けたものとなんだなとわかります。
モダンなマンションの角地に立つ黒焦げの電柱はなんとも異様で、静かな住宅地の中で不気味な雰囲気を醸し出しています。
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交通規制標識と同じくらいの高さの、電線も架けられずもはや何の用途もない電柱。
この電柱は、太平洋戦争末期の昭和20(1945)年3月10日未明に発生した東京大空襲にて、猛火の中、からくも焼け残った電柱だという。
鉄パイプによって足元を支えられていますが、ここにあるのは風雪に耐えられるレプリカで、実際の電柱は江戸東京博物館に保管されているそうです。
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焼け残り電柱の傍らには、焼け残った電柱を保存する会が設置した解説板が設置されています。
解説には、悲惨な歴史の生き証人である電柱を保存することにより、悲劇を起こした戦争を二度と起こさないよう神に誓う、というようなことが書かれています。
戦争の前に、私たちはできることがたくさんあるはずなのですが、様々なものを失って初めて、そのことに気づくものなのでしょうね。
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東京大空襲により、瓦屋根の長屋や商店が軒をつらねていたかつての三筋の町並みは焼け出され、すべては灰燼に帰してしまいました。
空襲の翌朝、一面の焼け野原にぽつんと佇む焼け残った電柱を見て、戦火を生き延びた人々は涙を流したという。
現在もいろいろと危うい国際関係ですが、東京大空襲焼け残り電柱は、今日も我々に「そうなる前にできることはないのか」と問い続けているのかもしれない。
(訪問月2021年2月)