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栃木県日光市足尾町の産業遺産、足尾銅山本山製錬所跡を歩いてきました。
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足尾銅山観光を見学後、施設の前を走る銅街道に出てきました。
銅街道は、近世以降足尾銅山の銅を運搬するのに利用された街道です。
街道沿いには、足尾銅山の関連施設が多く残っています。
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足尾銅山観光のもっとも近くに位置する新梨子油力発電所の廃墟。
重油を燃料とするこの発電所は、非常用電力供給設備として大正5(1916)年に建造されたという。
訪問時は風のせいだったのか、窓枠に取り付けられたトタンがバタンバタンと開いたり閉じたりして、それがまるで手招きしているように見えてちょっと不気味でした。
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その隣には、通洞動力所というレンガ造りが美しいメルヘンな廃墟が残されています。
通洞動力所では、削岩機の動力源である圧縮空気がコンプレッサーによって作られていました。
足尾銅山が閉山となった今は、何の用途もなく朽ちるに任されています。
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通洞動力所はこの周辺にある足尾銅山関連施設の中でも一際崩壊が激しいです。
2011年の夏に建物の左側が崩落したそうですが、ほかの箇所も屋根が崩落するなどあちこちで倒壊が進んでいます。
2011年というと、要するに東日本大震災の影響を大きく受けてしまったわけですね。
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通洞動力所の並びには、今も現役で稼働している通洞変電所が建っています。
通洞動力所とは対称的に、無骨な鉄筋コンクリート造りで頑丈そうな通洞変電所。
色がところどころ黒ずんでいるのは、太平洋戦争中敵機による空爆を避けるための迷彩塗装が施されたからだそうな。
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通洞変電所から銅街道を挟んだ向かい側には、足尾銅山選鉱所、通洞選鉱所があります。
立ち入り禁止の門の向こうに、浮選精鉱を水と精鉱に分離していた円筒状の鉄筋コンクリート製精鉱シックナーが見えました。
ここで不純物を除去された精鉱は、今度は金属を取り出す製錬のために、通洞選鉱所から北北東3.8kmの位置にある本山製錬所へと搬送されていきます。
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銅街道を北上し本山製錬所方向へ進んでいくと、途中に街道と廃線路が交差する踏切跡があります。
この線路は昭和62(1987)年に廃止された旧国鉄足尾線の貨物専用線で本山製錬所まで続いており、銅鉱石の運搬などで使用されていました。
足尾銅山が昭和48(1973)年に閉山した後も、製錬事業で稼働していた本山製錬所へ輸入鉱石を運搬するために貨物線廃止まで使用されていたそうです。
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踏切跡からさらに約1km北上し足尾町赤倉地区の中心ロータリーまでやってきました。
本山製錬所は立ち入りできませんが、このロータリーにはベンチや公衆トイレなどがあって、ここからU字谷状になっている松木川を挟んで対岸にある足尾銅山の製錬工場・本山製錬所跡が見渡せます。
この巨大な工場の中に、廃止された貨物専用線の終点・足尾本山駅があります。
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こちらは明治23(1890)年末竣工の国の重要文化財、古河橋。
古河橋は足尾銅山操業の中心地・本山地区と、従業員の社宅が建ち並ぶ赤倉地区を結ぶ重要な橋梁でした。
竣工翌年の明治24(1891)年には、鉄道道路併用橋として日本初となる実用化された単線の電気鉄道が通っていたという。
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古河橋の先に見える巨大なこの建物は、本山製錬所の銅精鉱貯蔵庫だそうです。
製錬とは、選鉱所から送られてきた精鉱を高温で熔解して、科学的に金属を取り出す作業です。
通洞選鉱所から貨物線で送られてきた精鉱がここに保管されていたということでしょうか。
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銅精鉱貯蔵庫の隣には、山の斜面に残された本山製錬所の遺構を眺めることができます。
雛壇の下段から、屋根にソーラーパネルのようなものをつけた木造建物、中段には足尾本山駅のプラットフォーム?、上段には石油コンビナートのような円筒型タンクが段々に並んでいて、ごちゃごちゃ感が凄まじい。
その後ろの山がはげ山となってしまっているのは、製錬時に発生した亜硫酸ガスによる煙害で樹木が枯れ果ててしまったのです。
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こちらは本山製錬所から発生した煙を排出した巨大煙突。
製錬所では、精鉱に含まれた硫黄などの鉱毒物質が焙焼され揮発し、排出された亜硫酸ガスが長年にわたって足尾の山々を汚染してきました。
今も本山製錬所北部の山々は、このガスの影響によって自然回復できない不毛の地帯となり、植林作業が続けられています。
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鉱毒問題に苦しんだ本山製錬所は、やがて発生した亜硫酸ガスから硫酸を取り出し、製錬所の排煙を無害化することに成功しました。
製錬所上段にあるこのタンクは、その結果生産された硫酸の貯蔵タンクです。
足尾式自熔製錬と呼ばれたこの製錬手法により、足尾銅山での排煙による煙害に終止符が打たれ、やがてその技術は国内外の製錬所でも使われることになり世界の環境を守ることに使われたという。
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足尾銅山といえば、小学校の社会科の時間で足尾鉱毒事件が日本の公害問題の原点として取り上げられていたことを思い出します。
しかしここに残された本山製錬所の施設は、試行錯誤が積み重ねられ公害対策が施された後の施設なわけですね。
鉱毒事件という負のイメージばかりがつきまとう足尾銅山ですが、こうした意味では公害対策の原点であり、産業遺産として今後も保存されてほしいと思います。
(訪問月2021年3月)