千葉県習志野市の軍事遺跡、陸軍鉄道第二連隊兵営跡を歩いてきました。
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JR総武線に乗って、習志野市の津田沼駅にやってきました。
津田沼駅南口の南側には、千葉工業大学の津田沼キャンパスが広がっており、駅前には学生の姿がたくさん見られます。
千葉工業大学津田沼キャンパスは、アジア・太平洋戦争の敗戦までここに存在した陸軍鉄道第二連隊の兵営跡地に作られた大学です。
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千葉工業大学の通用門は、明治40(1907)年この地に移駐した陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)兵舎の表門として使用されていたものとされています。
アジア・太平洋戦争の敗戦後、ここが千葉工業大学の校地となった後も残され、平成10年5月には国の登録有形文化財に指定されています。
旧陸軍鉄道第二連隊の表門は、現在では赤煉瓦の古風な趣きから「工大の煉瓦門」として親しまれているという。
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千葉工業大学前から総武線の跨線橋を越えたところにある津田沼一丁目公園には、小ぶりな蒸気機関車が保存展示されています。
この蒸気機関車はK2形蒸気機関車134号という名前で、陸軍鉄道第二連隊が隊員の教育訓練のために使用していたもので、現在の新京成線敷内にあった陸軍演習線で機関車として活躍したものです。
K2形蒸気機関車は、もともとはソ満国境で用いることを想定して設計された軍用軽便機関車だったそうですが、太平洋戦争が開戦されたため、生産された47両の大半が予定の満州へは送られず、国内で訓練用に使用されることになりました。
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敗戦による陸軍の解体後、国内に残留していたこの車両は西武鉄道に払い下げられ、西武安比奈線で車両の入れ替えのために使用されていたという。
使用されなくなった後、車両はユネスコ村に静態保存されていましたが、ユネスコ村閉園に伴い習志野市が譲り受けることとなり、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置されました。
まあ余談ですが、この蒸気機関車にみられるように、旧日本陸軍は満州等でソ連と戦うことを想定に構成された軍隊だったので、赤道付近の南方で連合軍と戦うことは想定外のことであり、それが苦戦の原因にもなっていました。
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津田沼一丁目公園のすぐ近くにある新津田沼駅から、新京成線に乗って京成津田沼駅に行き、そこから京成本線に乗り換えて京成大久保駅に行きます。
新京成線は陸軍鉄道連隊演習線松戸線の前身とする路線で、K2形蒸気機関車134号もこの演習線で活躍していたという。
新津田沼~京成津田沼駅間は、S字状の急カーブとなっていていかにも演習線という感じですが、松戸線の起点は鉄道第二連隊兵営のあった津田沼駅付近であり、この区間は演習線跡に造られたものではないそうです。
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津田沼駅付近から延びていた軍の演習線には、松戸線のほかに、千葉方向へ通じる習志野線というのがありました。
この習志野線は、津田沼駅付近から現在のJR総武線に沿って南東方向に進んだのち、鷺沼台二丁目で大きくカーブして北東方向へと進路を変え、京成大久保駅前を通って、さらに北東の陸軍習志野演習場があった東習志野方向へと向かうルートになっています。
鷺沼台二丁目から東習志野五丁目までにかけての習志野線の軌道敷跡は現在、習志野市が国から借り受ける形で自転車・歩行者専用道路として整備され、「ハミングロード」という名前で住民から親しまれています。
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このハミングロード上には、ところどころに習志野市教育委員会が立てた鉄道連隊演習線跡の解説板が立てられています。
解説板によれば、習志野線はもともと日露戦争時に購入した鉄道資材を、津田沼から習志野の捕虜収容所跡を介して千葉の鉄道連隊材料廠へ移転させるために敷設されたものだったという。
習志野線は初期に多少のルート変更があったものの、津田沼~大久保~三山~高津~犢橋~宮ノ木~園生~千葉の、約16.7kmの区間を走る、軌間600mmの軽便鉄道でした。
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解説板には当時の鉄道第二連隊の運転演習の様子を写した写真が掲載されています。
煙等で判別しにくいですが、2台のK2形蒸気機関車が背中合わせに連結されて、貨車を引っ張っているように見えます。
手前にも線路が見えることから、演習線は複線であったようです。
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その下には、軽便鉄道敷設演習の様子を写した写真も載っています。
写真の人々は、おそらくは鉄道第二連隊の兵隊たちであると思います。
旧日本軍人といえば悪く思う人もいるでしょうが、時代や組織に振り回されながらも、ただひたすらに与えられた任務を全うしようとした、当時の人々の姿であるとだけは言えます。
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写真の下には、鉄道第二連隊があった津田沼駅から伸びる、松戸線と習志野線、二つの鉄道連隊演習線の地図がありました。
これを見れば、習志野線がどこを走っていたのか一目瞭然ですので、この地図を見ながら演習線跡を歩きたいと思いますが、長くなってきたので今回はここで終了です。
次回はこの習志野線の線路跡を、京成大久保駅付近から、演習線遺構を見学しつつ習志野演習場方向に歩きたいと思います。
(訪問月2022年3月)